ネットもSNSもない時代に「炎上」した田中寅彦七段(当時)
2017/02/12
「序盤のエジソン」の異名を持ち、居飛車穴熊の優秀さを将棋界に広めた田中寅彦九段。
田中九段は谷川浩司九段より5歳上で、プロ入りも半年ほど先。
将来を嘱望されていた20代の頃、物議をかもした名言を世に残しました。
あのくらい(!?)で名人になる男もいる
田中寅彦七段(当時)が米長邦雄王将(当時)との対局の自戦記(将棋世界1984年2月号掲載)で、このような文章を書きました。
王将の読みの早さ、正確さに、依然自分が及ばないことを痛感させられた。
これほどの人が、まだ名人になれないでいる!!(一方、あのくらい!?で名人になる男もいる)
(引用:【田中寅彦七段(当時)「一方、あのくらい!?で名人になる男もいる」】より)
「あのくらい!?で名人になる男」とは、もちろん谷川浩司名人(当時)のこと。
まぁ、当然悪意はなく、全文を読めばユーモアだとわかるのですが、発信者の真意を理解してくれないのが大衆というもの。
当時はなんと、棋士の住所録がしれっと雑誌に載っていた時代。
ユーモアの通じない輩からの批判の手紙が、田中七段の自宅へ殺到したとか。
SNSがない時代の「炎上」
こちらは将棋世界で毎度お馴染み、順位戦「昇級者のよろこびの声」から。
田中寅彦八段(当時)がA級昇級を決めたときに寄せた文章です。
これはきっと将棋の神様が、ぼくに”田中お前、八段でどれぐらい戦えるかやってみろ”と言ってくれたんじゃないかと思っています。
それと、八段に昇れたのもファンの皆様の暖かい声援と、いろいろな激励の手紙やら電話のおかげと大変感謝しています。
* * *
八段に昇ったのは予定通りなんですが、私より上に歳下の男がいると思うと悔しい。あっ こんなことを書くと、また激励の手紙がくるかな?
編註:…田中に「あいかわらず葉書がくるかい」と訊いた。田中が谷川名人のことを「あのくらい!?で名人になる男がいる」と書いたら、「なにをいうか」といった文体の投書がびっくりするほどきた、と聞いたからである。
(引用:「炎上を闘志に変えた田中寅彦八段(当時)」より)
怖えぇ・・・。
現代のTwitterが投書になっただけで、これはインターネットもSNSもない時代の「炎上」はというやつですね。
しかし田中八段はその数ヵ月後にA級昇級を果たし、その「激励」が原動力になったと堂々と書いたのだから大した豪気の持ち主。
でもたぶん、その手紙を受けとったときは、怖かったと思いますよ・・・。
人の悪意って、文章を通じて伝わりますからね。