谷川浩司

谷川浩司少年の才能を見抜いた内藤國雄八段(当時)

日本将棋連盟会長・谷川浩司九段。

21歳で名人になり、棋界のプリンスと呼ばれた青年は、すでに今年で54歳。

今から遡ること約半世紀、谷川浩司九段が小学校2年生のとき、神戸・三宮で開かれた将棋イベントに参加しました。

*以下の引用は全て、将棋世界Special「谷川浩司」より。

プロにしたら八段は堅い

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(画像:朝日新聞DIGITALより)

そこで、30歳の内藤國雄八段(当時)が駒の総数にちなんだ、40人相手の多面指しが行われ、少年はそれに参加しました。

このときが、谷川少年の才能を見抜いた内藤國雄八段との運命の出会い。

途中、二枚落ちの選手の中に小学2年生の可愛い子がいて、しっかりやってくる。

この子に一番ヤリを進呈しようと決めて上手い手をこられたときに投了した。

そのとき、会場から拍手を浴びた少年が谷川浩司君、当時小学一年生で私との初めての出会いである。

*原文のまま引用しました。

(出典:P.37)

将棋に夢中な子どもからすれば、駒落ちとはいえ「プロに勝てた」という事実がどれだけ嬉しいことか。

しかも、大観衆の拍手と記念品のおまけつきなら、それは尚更に違いない。

そのときのことについて内藤八段は、谷川少年についてこう語りました。

小学校2年のとき、谷川さんは内藤九段の40面指しに挑戦。二枚落ちで勝つ。

初対面の内藤九段は「あの子は大物になるよ。並の子と違って将棋の腰が座ってて迫力がある。プロにしたら八段は堅い」と語った。

(出典:P.102)

今ではあまり言われませんが、「プロになればA級八段は堅い」は、才能のある子を評する常套句の様なもの。

内藤八段も横歩取り空中戦法で名を馳せた一流棋士。

天才の見る目に狂いはなく、「A級八段」の評価は、その翌年にすぐ覆ることになります。

将来の名人候補

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(画像:達人戦中継ブログより)

その翌年、谷川少年は再び、内藤八段との対局の機会を得ます。

今度は多面指しではなく、壇上で一対一の公開対局。

並の子どもなら、緊張して指し手が伸びなくなりそうなところを、しっかりと勝ってしまうのが、谷川少年の才能。

その翌年、同じ「さんちかタウン」で開かれた素人縁台将棋の催しで再び浩司君と対戦する機会があった。

こんどは壇上で一対一の公開対局だった。

二枚落ちの手合で熱戦になったが、最後は上手く負かされてしまった。

(略)

厚い将棋盤の前にちょこんと正座した少年を見たとき、盤と渾然一体になっているようで打たれるものがあった。

それまでプロ志望の子を幾人も見てきたが、こんな子は他にいなかった。

(出典:P.38)

2年生のときは内藤八段がスッキリ切られるように負けてあげたのが、3年生になると谷川少年が実力で負かしてしまった。

これで内藤八段の評価は「A級八段」から「名人」に格上げされます。

その後3年生で再び内藤九段と対戦。

「強い子はごまんといる。しかしプロになって大成する子は餅の粘りのようなものが将棋を指して感じられないとあかん。浩司君がそれだ。顔つきもいい。無口もいい」と内藤九段。

3年生の夏、また内藤九段と対戦。その評価は「あれは名人候補だ」に上がった。

(出典:P.102)

谷川少年はその翌年、小学校4年生で棋士になることを決め、5年生で奨励会入りします。

谷川少年の才能を見抜いた内藤國雄八段

それら少年時代の内藤八段との対局について、谷川九段自身は以下のように語っています。

内藤先生も大変なご人徳をお持ちだと思います。

子ども時代に内藤先生に教わったのは二枚落ち3局ですが、いつも自分でも驚くほどよく指せた。

序盤から力将棋になり、終盤で鋭い勝負手を連発して勝ったこともある。

確かに、私は内藤先生に助けられて育ったのかもしれません。

(出典:P.103)

谷川少年の将棋人生は、内藤八段との出会いがあったからこそ拓けたといっても過言ではありません。

まだアマ初段程度の谷川少年の将棋に、キラリと光るものを見出だせたのは、内藤八段自身が才能に恵まれた棋士だったから。

いくら溢れるほどの才能があったとしても、周りの人の支えがあってこそ、その才能は花開きます。

-谷川浩司