加藤一二三 大山康晴・升田幸三

還暦のA級棋士たち

将棋界は、若い者が勝ち、老いた者が負けます。

しかし、老いてもなお若手に交じって第一線で頑張り抜く、という例も稀ながらあります。

並の棋士なら引退に追い込まれる60歳になっても、A級に在籍していた棋士が将棋史上4人だけいます。

その4名とは、大山康晴十五世名人、加藤一二三九段、有吉道夫九段、花村元司九段です。

大山康晴十五世名人

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(画像:朝日新聞DIGITALより)

言わずと知れた昭和の巨匠・大山康晴十五世名人は49歳で名人位を失って以降、69歳で亡くなるまで一度もA級から降級することなく戦い抜きました。

大山名人のすごいところは、いずれ自分の棋力・体力が衰えることを覚悟し、その備えを予めしておいたこと。

それが世に有名な「盤外戦術」と言われるものです。

自分の地位を脅かす者と認めた若手に対し、盤上・盤外ともに徹底的にコンプレックスを植えつけたのです。

それが後年になっても効果を発揮し、69歳A級という途方もない実績につながるのです。

加藤一二三九段

来年の元日で77歳を迎えるにも関わらず、いまだ現役棋士の加藤一二三九段。

これだけ息長く現役生活を続けられるのは、順位戦で長く活躍を続けてこれたことがその一因です。

49歳で一度はA級から落ちるも、53歳のときにA級に復帰し、以後62歳で陥落するまで戦い抜きます。

有吉道夫九段

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(画像:王座戦中継ブログより)

有吉道夫九段は、内藤國雄九段の終生の好敵手として知られる棋士です。

有吉九段はA級通算21期を誇るのですが、名人戦挑戦者になったのは1度だけ。

それ以外は、せいぜい指し分けがいいところの、いわゆる「A級下位の格」でした。

有吉がいちばん強かったのは、王位戦と名人戦で挑戦者になった、昭和44年前後だが、その後はA級から落ちたり戻ったりとなり、一時はB級1組に定着してしまったかのように見えた。
(略)
しかし、たぐい希な根性をみせるのは、50歳を超えてからである。
平成2年、B級1組で10勝2敗の好成績をあげ、A級に返り咲いた。このとき、54歳だった。

(引用:「盤上の人生 盤外の勝負」より、以下も同じ)

しかし、54歳でA級に戻ったはいいものの、下降トレンドの中に居るのは確か。

当然、挑戦者争いをするほどのパワーはすでになく、毎年のように降級争いをするハメになります。

当時は中原・米長両巨頭がいまだ健在で、谷川浩司九段が30歳前後の指し盛り。

さらには「花の55年組」の短い全盛期の真っ只中、という御時世で、降級候補と思われたのは無理もありません。

しかし、そこから落ちそうで落ちずに踏ん張るのが一流の底力。

54歳でA級に復帰してから6期を頑張り抜き、60歳になる年に1勝8敗で陥落しました。

落ちる前々年には、中原誠永世十段(当時)を、前年には谷川浩司王将(当時)をそれぞれ最終戦で破って残留を決めています。

有吉はずいぶん粘ったが、平成8年、ついにB級1組に落ちた。
ちょうど60歳で、口にはしなかったが、還暦までA級が目標だったはずで、達成感はあったと思われる。

その後はさすがに目立つ活躍はありませんでしたが、2010年の引退間際に史上2人目の通算1000敗を記録します。

花村元司九段

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(画像:wikipediaより)

2005年に、当時アマチュア選手だった瀬川晶司現五段のプロ編入試験が行われましたが、そのときに「61年ぶりのプロ編入試験」と言われていました。

その「61年前」に、太平洋戦争の敗北が濃厚になった1944年、将棋史上初めてアマからプロになったのが、花村元司九段です。

アマチュアといってもただのアマチュアではなく、真剣師(賭け将棋を生業にした人)だったという異色中の異色な存在の棋士。

棋士としての出自が異色なら、その将棋もまた異色で、プロでありながら定跡を知らなかったそうな。

将棋は全くの我流で、定跡など知らなかっただろう。
当時は、プロの将棋は新聞に掲載されたもの以外は知ることができなかったのである。
だから序盤はほとんど毎局不利になった。
それをなんだかんだとやりくりしてひっくり返すのだが、生粋のプロたちは素人将棋とバカにしていた。

(引用:「升田幸三の孤独」より、以下も同じ)

しかし、全盛時はA級の常連(通算16期)だったというから、人間の真価は経歴では計れない。

「妖刀使い」「東海の鬼」という異名がつくのも納得といえます。

花村の全盛時は、A級八段に昇った昭和27年から、33年くらいまでだろうか。
年齢でいえば、34歳から40歳までである。
このころの花村は、いつも胃の不調を訴え、対局中の姿は、文字通り鬼気迫るものがあった。
それでも(昭和)31年には名人挑戦者になり、その前の28年と30年には九段戦の挑戦者になっている。また、37年にも王位戦の挑戦者になった。
名人戦と王位戦は大山康晴に、九段戦は塚田正夫に敗れ、タイトル保持者にはなれなかったが、それでも立派な実績である。

1970年度、53歳のときにA級から落ち、1977年度(第36期)にB級1組で2位となり、60歳でA級復帰を決めました。

60歳という年齢はA級復帰どころか、昇級することそのものが奇跡的で、もちろん順位戦昇級最高齢記録です。

参考書籍

-加藤一二三, 大山康晴・升田幸三