大山康晴・升田幸三 将棋

大混戦のフィナーレ 63歳の名人戦挑戦者

2017/02/15

順位戦史上に残る大混戦の末、4勝しながら降級の憂き目にあった棋士もいれば、逆に名人戦挑戦者へのチャンスを掴んだ棋士もいます。

プレーオフに進んだのは6勝4敗の3名、大山康晴十五世名人、加藤一二三九段、米長邦雄十段。

そのプレーオフを勝ちあがり、名人戦挑戦者として名乗りを上げたのはなんと、当時63歳の大山康晴十五世名人でした。

63歳でA級にとどまっているだけでもとんでもない偉業なのに、さらに驚くべき事情がありました。

奇跡の挑戦者

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実は前期の順位戦を、大山十五世名人はガンの手術のために休場しています(だから第44期は張出だった)。

つまりガンの手術明けの身でありながら、自分よりも10歳、20歳以上若いA級棋士を相手にプレーオフまで進んだのです。

まず、千日手指し直しの末に加藤一二三九段に勝った大山十五世名人は、米長十段に挑みます。

その当時の下馬評は以下の通りで、そりゃあ普通に考えれば米長十段が勝つと思うに決まっています。

大山もよく頑張っているが、挑戦者は米長だろう、というのが大方の予想だった。
同率決戦に追いついた流れというものがある。
人生の最盛期にある者と、人生の坂を下りつつある者との、勢いの差というものがある。
さらに、この二人はタイトル戦で何回か対戦したが、米長が圧倒していて、実力差というものははっきりしていた。
どこから見ても、大山が勝てる要素はなかった。

(引用:「大山康晴の晩節」より)

参考資料として、米長-大山の対戦成績は、米長十段から見て以下の通り。

  • 【通算対戦成績】104戦46勝58敗(引用:日本将棋連盟より)。
  • 【タイトル戦戦績】獲得2・敗退4(引用:wikipediaより)。

数字だけ見れば大山十五世名人の方に分のある戦績ですが、それは米長十段が大舞台で活躍するようになるのが意外に遅いからです。

米長十段がタイトルをよく獲得するようになるのは1970年代後半からのことで、1982年度の王将戦・棋王戦でいずれも米長十段が勝っています。

米長十段は1984年度末に四冠王になり、「人生の最盛期にある者」とは、この辺りのことを言っています。

しかし下馬評に反し、大山十五世名人は勝ってしまいます。

ここに、大山十五世名人の奇跡が実現しました。

大混戦の順位戦のクライマックスは、「ガンを克服した63歳の大山名人が、休場明けの順位戦でプレーオフを勝ちあがり、名人戦挑戦者になる」という、神業的な偉業でした。

それ以上の奇跡は起こらず

さて、大山十五世名人にとっては12年ぶり25回目の名人戦登場ですが、中原誠名人(当時)には1勝4敗で敗退します。

ガンを克服した63歳の奇跡の挑戦でしたが、全盛期の中原名人には及びませんでした。

その名人戦を、河口八段は以下のように評しています。

この名人戦を総括すれば、大山は良い将棋を指したが、結局勝ち切れなかった。
全盛期の者と盛期をとうに過ぎた者との差が、はっきりとあらわれていた。

(引用:「大山康晴の晩節」より)

この名人戦が大山十五世名人にとって最後の名人戦になりました。

筋書きのない将棋界

これがドラマや小説なら、劇的なストーリーは作ろうと思えば作れます(それが人の心を打つかはともかく)。

しかし将棋界には、もちろん筋書きなどありません。

筋書きも無いのに、これだけ劇的なストーリーが現実に起こるのです。

「事実は小説より奇なり」という格言を地で行く、一流棋士たちの真剣勝負。

これだから、将棋を観るのは面白い。

-大山康晴・升田幸三, 将棋