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将棋界の無冠の帝王・森下卓九段

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「無冠の帝王」という言葉があります。

wikipediaによれば「特別な地位や肩書きをもっていないが、実質的な実力を備えている人」という意味で、元プロ野球選手の清原和博氏に対してよくこの言葉が使われていますね。

将棋界でも「無冠の帝王」と呼ばれる棋士がいて、それは森下卓九段です。

第3回電王戦で副将として出場して敗北後、そのリターンマッチで判定勝ちしたことが記憶に新しいですね。

若手時代の羽生さんとは好敵手

森下卓九段は1966年生まれで、谷川浩司九段(1962年)と羽生善治三冠(1970年)の狭間の世代に属します。

1983年に17歳でプロデビューし、ほぼ同時期(1985年)にプロになった羽生さんとは好敵手でした。

ただ、現在の目から見ればその実績の差が歴然としていることから分かる通り、その力関係は若手時代から極端に偏っていました。

C級1組時代の、羽生、森下の勝ちっぷりは凄かった。
お互いに勝ちまくると、必然的に、予選決勝とかその他、ここ一番、というところで羽生と対戦することになる。
私の印象では、大事な対戦で、ことごとく敗れた。
それを物語る数字があって、平成元年度の年間成績で、勝率、勝数、対局数、連勝、の四部門とも羽生六段に次いで2位だった。
この関係はこの後最盛期も変わらなかった。

(引用:「最後の握手 昭和を創った15人のプロ棋士」より)

「無冠の帝王」は不名誉な言葉ですが、その実力が認められていなければつかない称号です。

前述の清原選手だって、打撃タイトルには縁がありませんでしたが、黄金時代の西武ライオンズを支えた不動の四番打者でした。

森下九段もその例に漏れず、「駒得は裏切らない」の名言に象徴される、正統派の将棋で将来を嘱望されていました。

事実、A級に通算10期在籍し、タイトル戦で6度挑戦者になっています。

しかし、挑戦してもことごとくタイトル獲得には手が届かず、それが「無冠の帝王」の由来となっています。

名人戦史上に残る大ポカ

森下九段が28歳のとき、1995年に羽生善治名人(当時)に挑戦した第53期名人戦第1局。

名人戦史上に残る大ポカ△8三桂といえば、思い出す方も多いでしょう。

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その将棋は、森下九段の「無冠の帝王」という称号と、羽生善治三冠を苦手にし続けたこととを象徴するような痛恨の一局です。

当時七冠王への道をひた走っていた羽生さんを相手に完勝目前だった将棋が、この一手で全てぶち壊しになったのです。

このシリーズ、森下九段は1勝4敗で敗退します。

将棋界はいくらたくさん勝ったとしても、ここぞという大勝負で勝てなければ、歴史に名を残す棋士にはなれないのです。

大ポカの舞台裏

第1局のすべては、森下の108手目の△8三桂に集約されているからだ。

この対局がのちに語られるとすれば(森下には気の毒だが「△8三桂の将棋」と言うだけで十分だろう。

(略)

ところが、終局わずか8手前の△8三桂で将棋はひっくり返ったのである。

ここで△9五金なら、次に△8八飛成を見て勝ちだし、△6七飛成▲8六玉△8三桂でも勝ちは動かなかった。

おそらく、羽生は、どこで投げようかと思っていたのではないか。

それが手順前後の桂打ちで▲7五歩の余裕が生じた。もう詰まない。

(引用:森下卓八段(当時)痛恨の△8三桂 =第53期名人戦=より)

しかも、上記に引用した記事を読んで初めて知ったのですが、この名人戦は「関根金次郎十三世名人が実力制名人戦を提唱して60年」を記念して、将棋連盟の総力をあげたイベントが開催されているのです。

ただでさえ名人戦と言う将棋界きっての大イベントなのに、例年以上の注目を集めた中で、この大ポカをやらかしたときの心中は察するに余りあり過ぎます。

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