羽生善治

若き日の羽生善治三冠が、世間を敵に回した日

この話は、誰もが認める将棋界のスーパースター・羽生善治三冠の、若き日の苦難の物語。

日本中を敵に回して戦う、その重圧がいったいどれほどのものか・・・。

歴代将棋十傑

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(画像:王位戦中継ブログより)

棋界の語り部・河口俊彦八段は将棋世界Special「谷川浩司」にて、「歴代将棋十傑」という将棋ファンが喜びそうな話題を書き遺しています。

もちろんその中に、羽生三冠の名が入っています。

十数年前になるが、将棋の歴史を勉強していて思いつき、「歴代十傑」を選んでみた。それは、

  • 初代伊藤宗看
  • 三代伊藤宗看
  • 大橋宗英
  • 阪田三吉
  • 木村義雄
  • 升田幸三
  • 大山康晴
  • 中原誠
  • 米長邦雄
  • 羽生善治

この十傑は年代順に並べたもので、誰が最強で、2番目は誰などとは判定できない。

皆同格の大天才である。

いずれも一度は名を耳にした方々ばかりです。

肝心のその理由ですが、それを以下のように記しています。

十傑に入れた人たちは、偉大な勝者であるが、人生を決める勝負将棋に負けたり、ライバルに叩きのめされたり、棋界からのけものにされたり、スキャンダルを言われたり、などなどの辛酸を一度はなめている。

そんなエピソードが、人間としての味を感じさせて、それが私は好きである。

江戸時代の方々はよく知りませんが、阪田三吉以後の方々については、どれも思い当たる節があります。

ところで、羽生善治三冠にはそんなことありましたかね?

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七冠ロードの最中に

羽生三冠は若い頃、いや子どもの頃から勝ちまくって勝ちまくり、スキャンダルをすっぱ抜かれたこともなかったはず。

常に賞賛を浴びるスーパースターというイメージがついていますが、その羽生三冠も若かりし頃、世間から批判の目で見られていたことがありました。

それは羽生善治三冠が当時23歳、四冠王だったときに、米長邦雄名人(当時)に挑戦した第52期名人戦。

羽生四冠が3連勝したあと2連敗して迎えた、第6局。

そのときの心境を、自らの著書「決断力」にて、こう書き記しています。

巷には、「米長、頑張れ」の声が満ちている。それは当然、私の耳にももちろん届いてくる。

対局前から様々な反響が起こった経験をしたのはこの時が初めてだった。

何の苦労もなくのし上がってきた23歳の若い棋士と、当時、50歳、幾多の挑戦と挫折を繰り返して、ついに栄光を掴んだ「中高年の棋士」米長先生との対決-こういう構図を描かれてしまえば、それは米長先生を応援したくなるのが人情というものだろう。

加えて、私は名人戦を前に物議をかもしていた。

(引用:「決断力」より)

米長名人は、全盛期の中原誠十六世名人と五角の勝負を繰り広げ、大山・升田時代を継ぐ一時代を築いた名棋士ですが、なぜか名人にだけはなかなか手が届きませんでした。

そしてこの前年、1993年の第51期名人戦で実に7度目の挑戦にして悲願が成ったのでした。

かたや羽生四冠は、23歳にして最も伝統ある名人にまでなろうとしている。

上座事件

そして、羽生四冠がかもした「物議」というのは、いわゆる「上座事件」のこと。

第52期A級順位戦の8、9回戦にて、中原誠前名人、谷川浩司王将を相手に、羽生四冠は「上座」に陣取るのですが、それが将棋界の慣例に反する、と世間には見られたのです。

朝、先に対局室に入った羽生が床の間を背に坐った。

遅れて入った中原は、それを見て瞬間ムッとしただろう。

もし、中原の方が先に来たなら、上座に坐っただろうから。

しかし、その場はニヤリとして済まし、対局が始まった。

棋士達や、関係者がすぐに気がつき首を傾げたのはいうまでもない。

羽生がタイトルを持っている棋戦は、羽生上座が当たり前だが、順位戦なら、中原の上座が自然というものだ。

いろいろ議論が出てにぎわったが、羽生はうっかり坐ったんだよ、で、この日は終わった。

そして最終戦。

注目されているのを知ってか知らずか、羽生は谷川に対し、またも上座をしめた。

規定は、順位優先で谷川が上座ということになっている。

今度は傍の議論がすこし変わった。羽生がちょっとおかしい、と言うのである。

(引用:「ヒールになってしまった羽生善治四冠(当時)…前編」より)

こういうところを明文化せず、その場の空気や常識に委ねるのが将棋界の良いところであり、悪いところ。

将棋界は、勝つものが報われる世界ですが、「勝負の世界だから勝つ者が正義!なんでもやりたい放題できるぞ!」というわけではありません。

むしろ、狭い世界ゆえにカドを立てないように気を使うことの方が多いのです。

予想外の逆風に、さしもの羽生四冠も動揺してしまいます。

それにしてもこのときの反響は大きかった。

米長先生には「(中原、谷川という)名人経験者に対して何事か」と週刊誌上で叩かれ、周囲には、「羽生、討つべし」との非難の声が広がっていたのである。

価値観の違いといってしまえばそれまでだが現実にそのようなことが起こると戸惑いも大きかった。

(略)

私は、本当に真っ暗闇の道を一人で歩き続けている気持ちだった。

(引用:「決断力」より)

「真っ暗闇の道を一人で歩き続けている気持ち」とは、一体どれだけ不安で心細い日々だったことでしょう。

勝負に臨むには全く不向きな心境のまま、23歳の青年は運命の対局に挑みます。

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いかなる逆境をも跳ね返す、それがスーパースター

しかし、どんな逆境であれど、それを実力で跳ね返してしまうのが、羽生三冠がスーパースターたる由縁。

世間の「羽生、討つべし」の声に屈さず、第6局を制して4勝2敗で名人を奪取し、五冠王になって七冠王への道をひた走ります。

将棋とは孤独な戦いである。

追い込まれた状況からいかに抜け出すか。

追い込まれるということはどういうことか、でも、人間は本当に追い詰められた経験をしなければダメだということも分かった。

逆に言うと、追い詰められた場所にこそ、大きな飛躍があるのだ。

米長先生に挑戦した名人戦は、それを骨の髄から学んだ大きな一番であり、私の分岐点となった勝負であった。

(引用:「決断力」より)

「ピンチはチャンス」とはよくいったもので、まさに、このときの羽生三冠のことを表すためにあるような言葉。

若き日の羽生三冠が真のスーパースターへの道を駆け上がった、将棋史の一コマ。

-羽生善治

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