中原誠 大山康晴・升田幸三

1972年の名人戦は「大山時代の終焉」であり「中原時代の開闢」でもある

2017/02/16

「3月のライオン昭和異聞 灼熱の時代」は、昭和44年の将棋界を舞台にした「3月のライオン」の公式スピンオフ。

若き日の(作中の)日本将棋連盟会長・神宮寺崇徳八段の激闘の日々を描く作品。

そのストーリーや登場人物のキャラ設定をよくよく読むと、実在した棋士や現実の将棋史をモデルにしてストーリーがつくられていることが分かります。

追い詰められて飛車を振る、その心は

そのひとつが以下のシーン(2巻第11話)。

名人相手に3連敗で追い込まれた神宮寺八段が「負けたくない」一心で、得意の居飛車ではなく、名人の十八番である四間飛車に振ります。

このシーンのモデルになった史実は、1972年度4~6月に行われた第31期名人戦第6局。

中原誠二冠(24歳)が大山康晴名人(49歳)に挑戦したシリーズです。

中原二冠が2勝3敗でカド番に追い込まれた時のこと。

普段は居飛車党の中原二冠が、負ければ敗退する第6局で、振り飛車(三間飛車)を採用しました。

ただし、神宮寺八段は3連敗後の「捨て身」の策でしたが、中原二冠はそんな破れかぶれではなく、ある意図を持ってのことでした。

三冠王 VS 二冠王の頂上決戦

この名人戦までに至る時系列を説明すると、まずこの当時はタイトルが全部で5つの時代です。

1970年度終了時点で大山三冠(名人・王位・王将)と中原二冠(十段・棋聖)という勢力図になりました。

その構図は1971年度になっても崩れず、迎えた1972年度最初のタイトル戦が第31期名人戦です。

それまで両者はタイトル戦で7度ぶつかり合い、中原二冠から見て5勝2敗。

対戦成績も45戦27勝18敗と、中原二冠がリードしていました。

ただし、昭和の名人戦は今よりも遥かに権威が高く、「名人戦で勝ってこそ第一人者」と棋士も世間も見ていた、という事情があります(ココ重要)。

来期のA級順位戦ではかならず一位になれる

(引用元:http://shogifan.hatenablog.jp/entry/2013/04/18/195757)

そしてさすがというべきか、大山名人は第5局を終えて3勝2敗とリード。

防衛に向けてあと1勝というところまできました。

追い詰められた第6局で、前述の通り中原二冠は飛車を振るのですが、何を考えて飛車を振ったのか。

カド番に追い詰められて中原は考えた。

「大山流の振り飛車にはいくら攻めてもだめだ。みんな受け切られてしまう」と。

そして「今期の名人戦は負けた」と心底思った。

しかし「来期のA級順位戦ではかならず一位になれる。だったら来年の名人戦のために、振り飛車を勉強しておこう」。

そして、第六局で先手番でありながら中原が飛車を振った。

(引用:「大山康晴の晩節」より。以下の引用も同じ)

河口八段はこの話を、「憶えているどころではない、忘れられない話」だと述べています。

この話を河口八段が中原十六世名人から聞いたのは、名人になってから十数年後の銀座のクラブでのこと。

以下の引用にある「何気ない話」というのは、そういう意味です。

第一、中原が大山の振り飛車に手を焼き、勝てぬとまで思ったなど、信じられない。

すでに書いたように、中原は大山に対し、この名人戦前に四十五戦して、二十七勝十八敗と大きく勝ち越している。

ちょうど二回り年下の者が追い抜いたのだから、その差は開く一方。

もはや中原は大山をカモ筋にしている、と大方は見ていた。それに、振り飛車戦法にしたって、さんざん戦っている。

本当に、振り飛車は破れぬ、と思ったのか今でも疑いたいくらいだが、中原は嘘をつくような人でなく、まして十数年後の何気ない話である。本当だったと信じるしかない。

第二に、A級に戻っても、かならず挑戦者になれる、という自信も信じられない。

A級順位戦はいつの世も激戦になる。昭和四十八年当時のA級のレベルが低いわけではなかった。

念のためメンバーを記せば、升田幸三、米長邦雄、二上達也、内藤國雄、原田泰夫、丸田祐三、加藤一二三、有吉道夫、灘蓮照、佐藤大五郎、大内延介である。

(略)

ここに入ってかならず挑戦者になれる、と思うとは驚くべき自信ではないか。

自分と大山とは、頭一つはっきり抜けている、というのが当時の中原の認識であった。

もう勝てないと悟ったあとの中原二冠は悲観的になるのではなく、未来を見据えた行動を取りました。

ある種の開き直りが、思わぬ結果を導きます。

大山時代の終焉、中原時代の開闢

第6,7局ともに、中原二冠は振り飛車で戦い、なんと2局とも終盤の大逆転で名人を奪取しました。

13年動かなかった名人位がとうとう動き、タイトル勢力図は中原三冠、大山二冠という構図に。

さらにこの年度、大山二冠は残る王位・王将も失冠し、無冠に転落します。

ここに大山時代が終わり、中原時代が始まりました。

1972年の名人戦は、将棋史の転換点の一つです。

-中原誠, 大山康晴・升田幸三