加藤一二三

神武以来の天才・加藤一二三九段の、長く険しい名人への道

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(画像:日本将棋連盟より引用)

最近はバラエティ番組で人気者になり、棋士としても今年76歳ながらいまだ現役を続ける、ひふみんこと加藤一二三九段。

76歳といえば、並の棋士ならとうの昔に引退に追い込まれ、普通の人間ならくたばっていてもおかしくない年齢です。

なのに、対局にテレビに普及活動にと精力的に活動し、頑健な体力と漲る意欲は凡人には真似できません。

今期は順位戦で54歳年下の八代弥五段を横歩取りでねじ伏せ、いまだ将棋にかける情熱は衰えていません。

神武以来の天才

加藤一二三九段は若い頃、14歳7ヵ月という若さで棋士になり、18歳でA級棋士になるなどのスピード出世を遂げたことから、当時の景気を反映して「神武以来の天才」という異名があります。

この記録は2016年に藤井聡太新四段が14歳2ヶ月でプロ入りするまで、62年に渡って破られることはありませんでした。

しかし、その異名と早熟の人生とは裏腹に、加藤一二三九段が真の才能を発揮するまでには、長く険しい道のりが待っていました。

18歳でA級棋士になり、20歳で名人戦の挑戦者になった加藤一二三八段(当時)は1960年、大山康晴名人(当時)に挑みます。

なお、加藤一二三八段が挑戦する前年(1959年)に挑戦者になったのが、大山康晴二冠(九段・王将)。

そのときに升田幸三名人(当時)から名人位を奪い返し、ここに大山時代が再来し、升田幸三の華やかなるも短い全盛期が終わりました。

つまり、1960年代に入り、升田幸三実力制第四代名人と入れ替わるように現れたのが、当時弱冠20歳の加藤一二三八段だった、というわけです。

今も昔も、どんな世界でも、若いスター候補が現れれば、世間は期待に沸くというもの。

しかし、その期待はあっけなく裏切られます。

大天才があらわれた、と騒がれ、名人戦第1局を快勝した加藤一二三も、第2局からは本気を出された感じで4連敗し、あっけなく名人になる夢は潰えた。

●引用:盤上の人生 盤外の勝負

名人戦で敗れたとはいえ、まだ20歳の若武者。

20代は棋士が最も勝てる時期だから、これからどんどん勝ちまくって、タイトルを複数獲得して・・・と、なるはず。

なのですが、そうはならなかったのです。

この名人戦で負けたときから、長く険しい名人への道が始まるのです。

名人戦敗退後、急速に勢いが衰える

名人戦が終わった直後に始まった順位戦はさっぱり奮わず、3勝6敗でなんと降級してしまいます

不思議といえば、加藤の勢いも名人戦以後、急速にしぼんだこと。

A級の地位はほぼ安泰だったが、タイトル戦の挑戦者になることが少なかった。

単なる、A級でちょっと強い棋士、になってしまったのである。

少なくとも、ライバルといわれた二上達也には成績で大きく差をつけられてしまった。

●引用:盤上の人生 盤外の勝負

さすがにB級1組の格ではないので1期で戻りましたが、その後も挑戦者になれないどころか、20代の内に3度A級から降級するハメになります。

名人戦以外の棋戦でも、28歳のときに十段(竜王戦の前身棋戦)を獲得しただけで、そのタイトルも翌年に失冠します。

次に名人戦挑戦者となったのは、初挑戦から13年経った33歳のときで、そのときの名人は25歳の中原誠名人でした。

A級で苦戦している間に、後輩に追い抜かれてしまったわけです。

-加藤一二三