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「羽生時代もこれで終わった」と言ってのけた若き日の中村修九段

2016/10/18

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中村修九段
(画像引用:日本将棋連盟より)

そう大言壮語を言ってのけたのは、若き日の中村修九段。

「受ける青春」と称された独特の受け将棋が持ち味で、今は香川愛生女流三段の師匠として有名な棋士です。

大口をたたくタイプの棋士ではなさそうですが、いったい何があったのでしょうか?

将棋盤に点はあるかないか?

冒頭に湾岸戦争が勃発した年、とあるので、ときは1990年。

中村修九段は当時、28歳の七段。郷田真隆九段と先崎学九段は20歳か21歳くらい。

その3人で入ったスナックで、事件は起きました。

舞台は海の幸をたらふく食べた後に入ったスナック。

女の子に囲碁と将棋の違いを説明している時のことだった。

酔った(多分)中村さんがいった。

「囲碁の盤の上にはところどころ目印がついているんだ。将棋盤の上にはそれがない」

(引用:点のある・ない論争)*以下の引用も同じ

囲碁と将棋の違いの例がそれかよ、と言いたくなる気もしますが、酒の会話なんてそんなもんか。

しかし、それを聞いた郷田九段は反論。

「そうでしたっけ、中村さん。将棋盤にも星みたいな飾りが付いていたんじゃあなかったっすか」

別に、将棋盤に点があろうがなかろうが、大したこと話ではありません。

だから、せっかく調子よく女の子にいいとこ見せようとしている先輩の顔を立て、聞き流してもよさそうなところ。

どうでもいいことで意地の張り合いになってしまえば、もう収拾はつきません。

「はあー、付いていないって、そんな点なんかあるわけない」

ある、ない、ある、ない。

我々はもめた。両者とも一歩も譲らない。

酔っ払いがくだらないことでアツくなるのは世の常である。

それに、二人とも頑固なんだ、これが。

酒の力も手伝って、ヒートアップする「将棋盤に点はあるかないか」論争。

酒の力もあるけど、こういうところで将棋指しの気質がよく分かります。

細かいところにこだわる負けず嫌い、は棋士の標準装備みたいなもの。

おそらく2人の板挟みで困ったであろう先崎九段は、間に中立の第三者を立てることにします。

そのしょうもない役割に白羽の矢を立てられたのが、若き日の羽生善治三冠。

「羽生時代もこれで終わった」

このままでは埒があかないので、誰かに電話して聞いてみようということになった。

当時飛ぶ鳥を落とす勢いの羽生の家にジーコンジーコン。

1990年当時の羽生三冠は、前年に獲得した竜王を失冠するものの、その年度末に棋王を獲得して、以降今に至るまでタイトルを失ったことはありません。

しかし、夜中に「将棋盤に点があるかないか」を聞くために電話した、先崎九段も充分酔ってますね。

そして、下らない用件で叩き起こされた羽生さんはお気の毒なことで。

「ねえねえ先崎だけど」

「なんですか、こんな夜中に」

「いや、実は(中略)で、あるかないか分かる、できれば見てくれない」

羽生も呆れたのだろう。「悪いけどもう寝てるんで、そんなのいちいち見る気しないよ、けど、あるんじゃない」

席に戻って二人に、羽生がたしかあるんじゃないかといっていたと伝えた。

その時の中村さんの台詞はカッコ良かった。

羽生時代もこれで終わった

これが「羽生時代もこれで終わった」発言の真実。

実にクダラナイ。

つまりは中村九段の方が間違っていたのですが、でもここまで堂々と言い切られると、何故か清々しい気分にもなります。

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