加藤一二三

ひふみんが大食漢になった理由(=若い頃は少食)

ひふみんこと加藤一二三九段は、その貫録ある体型から分かる通り、77歳にしてかなりの大食漢です。

それが77歳になってなお精力的に仕事をこなし続ける気力の源だと分かりますが、それにしてもこれだけ食欲旺盛なのは規格外。

2年前(当時75歳)には、定食を2つ平らげるという新たな伝説を作り、周囲の度肝を抜いたこともありました。

→ 2時間息も切らさずにしゃべり続け、定食2つをペロリと平らげる棋士・加藤一二三(もうすぐ77歳)

ひふみんが大食漢になった理由


70歳を超えてなおこれだけ食べるのだから、若い頃はさぞかし、尋常ならざる量を食べていたのではと思いがちです。

しかし、そういうわけではないようで、むしろ若い頃は小食だったそうです。

加藤は対局での旺盛な食欲が何かと話題になった。ただ以前は少食に見えた。

ラーメンをよく注文したのは好物というよりも、将棋に打ち込むために余計なことを考えたくなかったからで、事前に決めておいた。

近年に天ぷら、ウナギばかり注文したのも、同じ理由である。

(引用:将棋世界 2015年3月号 P.60より)

実はひふみんが大食漢になったのは、タイトル戦に頻繁に出るようになってからのことなのです。

ひふみん自身が76歳にして出版した「求道心」でそのことを語っています。

私は将棋ファンの間で大食漢として知られているようです。

その原点は、昭和50年代の中原さんとのタイトル戦にあります。

タイトル戦は知力も体力も使いますから、それを補うために私は食べることが大切だと考えたのです。

(引用:求道心 誰も語れない将棋天才列伝 P.136~137より)

ひふみんは18歳でA級棋士になり、「神武以来の天才」ともてはやされましたが、タイトル戦の常連となったのは30代後半からのことです。

42歳にて悲願の名人となり、後世に名を残す棋士となれたのは、意識して大食漢になったのも一因なのです。

太ってきた30代後半以降

しかし、その代償というか結果として、当然太ってきたわけです。

その広島市の三瀧荘で行われた第3局で対局が終わった後、中原さんに「加藤さん、固太りですね」と言われました。

私は30代後半になって戦に頻繁に出るようになった頃からよく食べるようになって、太ってきていたんですが、きっと中原さんは私のことをもっとぶよぶよとした水太りと思っていたんじゃないかな。

(引用:将棋世界Special Vol.4「加藤一二三」P.81より)

ひふみんの有名な「カルピスジャー伝説」はちょうどこの頃に生まれたエピソードです。

- 食事の話が出ました何か思い出すエピソードなどはありますか。

中原 何のタイトル戦か忘れたけど加藤さんがケーキを3個注文したことがあった。 私の分と記録の分を頼むとは親切だなと思ったら、 目前で全部食べたのでびっくりした記憶があるんだ。後は79年度の第34期生活での時だったかな、昼飯にトースト4枚おかずに加えてさらにカルピスをジャーに入れてきてくれと頼んでいましたね。

勝又 加藤先生のカルピスジャー伝説は有名ですが、この時だったんですか。

(引用:将棋世界Special Vol.4「加藤一二三」P.59より)

偏食は若い頃から

以上のように、ひふみんは若い頃から大食漢だったというわけではありません。

しかし、ひふみんのもうひとつの代名詞でもある「偏食」に関しては若い頃からです。

私が彼と初めて見たのは 加藤が四段になった頃で、京都新聞の主催で、芹澤初段とお好み対局を指したときだった。

(中略)

それから数年後のある日、将棋会館に遊びに行ったら、加藤が所在なさそうにぶらぶらしていた。

そこで碁を打った。一手一手に長考するのに閉口したが、打ちながら夏蜜柑を4個ペロリと平らげたのには呆れた。

食べ物が偏るのは年を取っても変わらず、対局のとき、うなぎと決めたら、昼も夜も鰻重。それが半年くらい続く。

あるときはオムライスにジュースというセットだったり、上寿司だったりするが、とにかくそれを続けるのは有名になっている。

(引用:盤上の人生 盤外の勝負 P.102より)

70歳を超えても偏食で、しかも年齢を重ねるごとに食べるのがキツくなるような食事を食べ続けても健康なのですから、本当に規格外な方です。

-加藤一二三