兄に将棋で負けて、駒を噛んで悔しがった少年時代の谷川浩司九段
2017/06/19
お寺の住職だったお父さんは将棋をよく知らなかったので、百科事典をみて将棋のルールを二人の息子に教えた。
兄弟喧嘩を止めさせるためである。そういう子が将来名人になるのだから、運命とは不思議なものである。
喧嘩は減ったが、5歳下の浩司君は将棋では随分と泣かされたらしい。
悔しくて噛んだ跡のある駒が残っている。
(引用:将棋世界Special「谷川浩司」
P.36より)
これは、谷川浩司九段が少年だった頃の有名なエピソードです。
このエピソードから、谷川九段も他の棋士の例に漏れず、幼少の頃から負けず嫌いな性格だったことが分かります。
当時、浩司少年は5歳のときで、このときの兄との勝負の日々が、内藤國雄八段(当時)との二枚落ちで才能を認められる日につながります。
今も現存する「噛み駒」
ここまでは世間によく知られている話で、ここからはあまり知られていない(ハズの)話。
意外に思うかもしれませんがは、浩司少年が噛んだ駒は、今も現存しています。
谷川家は、浄土真宗本願寺派のお寺で、俊昭、浩司と二人の兄弟がいた。
どちらも頭のよい子で、早くから将棋を覚え、二人でよく指した。最初は当然、兄が強かった。
しかし、すぐ弟が追いついただろう。浩司少年は、負けると駒を噛んでくやしがったという。
その「噛み駒」は今も残っていて、写真で見たことがある。
(引用:盤上の人生 盤外の勝負
P.44より)
その写真がこれ(↓)です。
(画像:弦巻勝のWeb将棋写真館より)
将棋世界Special「谷川浩司」にはこの盤駒だけでなく、ルールを覚えるのに使った百科事典の写真まで載せられています。
谷川九段は今年55歳なので、5歳の頃とはつまり50年も前の話。
その年月の流れが、おそらく留め金が外れたであろう、真っ二つの盤に表れています。
将棋で負けて泣いたときのエピソード(羽生&渡辺)
羽生善治三冠が将棋で負けて泣いたときのエピソードはこちら→羽生善治少年が将棋で負けて泣いた日
子どもの頃は、負けて大号泣するぐらいでないと、棋士として大成することはないのです。
それとは系統は別ですが、渡辺明竜王が将棋で負けて泣いたときの話はこちら→渡辺明竜王が生涯でただ一度、将棋で負けて泣いた日
これは、若き日の竜王と奥様との、ちょっとイイ話でもあります。
また、谷川九段と羽生善治三冠には、それぞれの幼少時代に共通するエピソードがあります。
将棋史に名を残す天才らしく、幼くしてその片鱗を感じさせる話です。