中原誠

歴代最高勝率(8割5分5厘)を記録した頃の中原誠五段(当時20歳)

中原誠十六世名人は1967年度、歴代最高勝率である8割5分4厘5毛という記録を残し、途方もないほどに勝ちまくりました。

この記録は50年破られておらず、藤井聡太四段に新記録の樹立が期待されます。

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将来の名人候補

(画像:日本将棋連盟より)

中原誠十六世名人は1947年9月2日生まれで、四段昇段は意外に遅く18歳のとき(1965年10月1日付)。

しかし、名拍楽・高柳敏夫名誉九段にその才能を見出され、幼少の頃から「将来の名人候補」と期待されていたため、修業時代に存分に力を蓄えていたのです。

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歴代最高勝率を記録することになる1967年度当時、中原名人は20歳のC級1組五段のときで、当時最年少で棋聖戦の挑戦者になっています。

このときは山田道美棋聖(当時)に2連勝からの3連敗で敗退していますが、その半年後に奪取に成功しています(当時、棋聖戦は年2期制でした)。

若い頃から「自然流」

1960年代後半といえば、大山康晴十五世名人の全盛期にあたります。

大山名人はその頃に「50期連続でタイトル戦に登場する」という記録を作っていますが、その連続出場を止めたのが中原五段なのです。

このころは大山の無敵時代で、あらゆるタイトル戦にすべて出場するという信じられない時代が長く続いた。

そうしたとき、山田が大山を倒した。そして、翌期の棋聖戦の本戦準決勝で、中原は大山と対戦することとなった。

「タイトルを取られたら、取り返せばいい」が大山の信条で、ここまでの十六年間、タイトルを奪われた次の期には必ず挑戦者になり、遅くとも二年目にはタイトルを再び自分のものとしている。

だから、準決勝で中原に敗れたときはみんな驚いた。

(引用:盤上の人生 盤外の勝負 P.11より)

順位戦ではC級1組で11勝1敗の成績で、ぶっちぎりでB級2組への昇級を決めています。

初参加となった1966年度のC級2組順位戦でも12勝0敗という圧倒的成績で昇級しており、2期連続での昇級に成功しています。

このころの中原は本当に強かった。序盤が特にうまいわけでもなく、中盤のさばきに特色もなく、終盤も、特別鋭くはなかった。

しかし総合力は抜群で、盤石の強みが感じられた。私はよく言うのだが、七冠王になるまでの羽生も強かったが、中原はもっと強かった。

(引用:盤上の人生 盤外の勝負 P.12より)

後に中原名人の棋風は「自然流」という有名なキャッチフレーズが定着しますが、この当時から将棋は「自然流」だったのです。

歴代最高勝率を残してから5年後の1972年の名人戦で大山康晴名人を破り、そこから中原誠名人の時代が始まります。

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-中原誠