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偉大なる棋界の語り部 「老師」と呼ばれた河口俊彦八段

2015年1月30日、棋界の語り部として長く活躍された、「老師」こと河口俊彦八段が逝去されました(上の画像は追悼特集が組まれた将棋世界2015年4月号のカラーページを撮影したもの)。

河口八段は棋士としてよりも、文筆の分野にその才能を発揮したことで将棋史に名を残した、珍しいタイプの棋士なのです。

不朽の名作「対局日誌」シリーズ

河口八段といえばなんといっても、「将棋マガジン」と「将棋世界」で連載されていた「対局日誌」シリーズです。

河口さんは『対局日誌』で、対局室の光景、棋士の心情、将棋会館の控室での遠慮のない批評や会話などを題材にして、勝負の厳しさ、将棋の面白さ、棋士の素顔を活写しました。

密室で行われるプロ棋士の対局を、読者が現場で見ているような臨場感で生き生きと伝えたのです。

将棋界の歴史や一流棋士の思い出も織り交ぜました。まさに将棋界の語り部のような存在でした。

(引用:田丸昇のと金横歩きより)

その人気は連載終了後10年以上経った今でも色あせず、続々と書籍化されているほどです。

*「羽生と渡辺 -新・対局日誌傑作選-」に関しては、題名と表紙のイメージと内容の差が大きいので、書店か図書館で確かめてから買うべし。

余人をもって代えがたい文才

河口八段は1936年生まれであり、升田・大山時代から中原・米長時代に活躍した棋士と広く親交がありました。

大山康晴の晩節」や「盤上の人生」シリーズの著書には、昭和の名棋士たちの個性豊かなエピソードがたっぷり詰め込まれています。

現代の棋士気質とは異なる、危うくも豪快な「将棋指し」的な昭和の棋士たちの記憶は、老師の筆によってその名を今に伝えられているのです。

羽生善治名人(当時)は河口八段について、将棋世界2015年4月号に寄せた追悼文で「余人をもって代えがたい大変な功績」であると称えました。

棋士としてのキャリアは2002年に終えていますが、引退後も10年以上に渡って文筆活動を続けており、その文才が常に周りから必要とされ続けていたことが伺えます。

あの独特の文体をもう新しく読むことはできない

80歳近くになっても精力的に執筆活動を続けられていましたが、将棋世界で連載されていた木村義雄十四世名人の評伝が未完になってしまいました。

河口八段は『将棋世界』で木村義雄十四世名人の評伝を連載していましたが、「高野山の決戦」(昭和23年に名人戦の挑戦権を争った升田幸三八段と大山康晴七段の3番勝負)を題材にした今年の3月号が絶筆となってしまいました。

将棋でいえば中盤の佳境の局面で、以後の面白い話を読めないのはとても残念です。「老師」(河口八段の愛称)の文章を愛読した方も同じ思いでしょう。

(引用:田丸昇のと金横歩きより)

妙に読点の多い、そして語り口調をそのまま文章にしたかのようなあの独特の文体を、もう新しく読むことはできないと思うと、没後3年近く経った今でも残念な思いが襲ってきます。

もしも老師が存命だったらば、新世代の大天才である藤井聡太四段についてどのように評したのでしょうか。

せめて最後に、それだけは書き遺してほしかった。

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