加藤一二三

ドン底からの復活! 中原誠五冠(当時)の全冠制覇を阻止した加藤一二三棋王(当時)

23af4bb0

(画像:東京新聞より引用)

18歳でA級棋士になり、20歳で名人戦挑戦者になったものの、大山名人に徹底的に叩かれて低迷し、挙げ句の果てに後輩の中原誠名人にも抜かされてしまった加藤一二三八段(当時)。

神武以来の天才・加藤一二三九段の、長く険しい名人への道

大山康晴名人(当時)に徹底的に負かされた加藤一二三八段(当時)

後輩にも抜かれてしまった加藤一二三八段(当時)

棋士仲間からは「終わった」とみられたようですが、いくら負けても本人はめげませんでした。

暗いトンネルの先に光があることを信じて

中原さんには8年間、1度も勝てない時期がありました。

しかしそれで落ち込むということはありませんでした。

公式戦で21連敗を喫したこともあったけど、たまたま負けただけと受け止め、暗いトンネルの先に光があることを信じて対局に臨んでいました。

目一杯に戦った結果ですから、仕方ありません。

それに若かったから、その後いくらでも取り返せると思っていましたから。

だから1度もめげたことはありません。

ちなみに服を変えたり、スタイルを変えることはしませんでした。

●引用:将棋世界Special Vol.4「加藤一二三」

21連敗というと、約半年間負けっぱなしです。

30代半ばで、自分ことを「若い」と思う人は少数派です。

これだけのポジティブシンキングは、凡人にはまず真似できません。

しかし、その言葉通り、どれだけドン底に沈もうとも、「あきらめることなく努力すれば、暗いトンネルの先にある光へと辿りつける」ことを地で行く復活劇が1976年から始まります。

8年振りのタイトル獲得

中原名人にストレート負けしてから3年後、ひふみんは36歳の年。

なお、1973年に九段昇段規定が改定され、九段に昇段していました。

3年間の低迷を跳ねのけ、1976年に第15期十段戦で中原誠十段(当時)への挑戦者として名乗りを上げます。

フルセットの末に惜敗するものの、このシリーズを中原名人は先に引用したムックの対談で「加藤将棋の変化を明らかに感じた」と語っています。→●将棋世界Special Vol.4「加藤一二三」

その証左として、年度末に第3期棋王戦で大内延介棋王(当時)を破り、8年振りにタイトルホルダーとして返り咲きます。

しかし加藤は天才だった。

(昭和)51年になるとドン底を脱し、棋王戦で大内に3連勝して棋王になり、翌年も中原を3連勝で退け、棋王位を守った。

●引用:盤上の人生 盤外の勝負

1977年も十段戦で中原十段に挑み、またもフルセットの末に惜敗します。

しかし、中原名人は「このシリーズは負けてもおかしくなかった」と語るほど接戦で、この頃から対戦成績が拮抗しはじめます。

中原誠の全冠制覇阻止と二冠王

1977年度末、第4期棋王戦で加藤一二三棋王に挑戦してきたのは、中原誠五冠(当時)でした。

この当時はまだ王座戦がタイトル戦扱いではなく、全部で6つの時代。

つまり、このシリーズは中原誠五冠による全冠制覇がかかっていたシリーズであり、その阻止の役目を担ったのがひふみんでした。

周囲からの注目が相当なプレッシャーになったことは想像に難くありませんが、結果は3連勝で防衛に成功し、中原誠五冠による全冠制覇します。

さらにはその約1年後、1978年度の第28期王将戦で再び中原五冠と立場を変えて激突します。

その前年に六冠全制覇に失敗した中原五冠ですが、その後は保持していたタイトルを全て防衛していました。

つまりその年も、再び六冠制覇の偉業を成し遂げ得たかもしれない勢いでしたが、ひふみんは4勝1敗の堂々たる勝ちっぷりで王将位を獲得します。

この勝利で、その時点でのタイトル保持者が中原誠四冠(名人・十段・棋聖・王位)、加藤一二三二冠(王将・棋王)となりました。

ほんの5年前、名人戦で惨敗し、仲間内からは「終わった」と思われた天才が、30代後半になって二冠王に輝いたのです。

-加藤一二三