中原誠 大山康晴・升田幸三

知られざる陣屋事件

2017/02/15

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陣屋事件」といえば、升田幸三実力制第四代名人が、指し込み(香落ち)の対局を拒否した有名な事件ですが、今回取り上げるのはそれとはまた別の話です。

将棋界の語り部として長く活躍された故・河口俊彦八段が「知られざる陣屋事件」と呼ぶ出来事があります。

そしてそれは、大山康晴十五世名人が中原誠十六世名人に勝てなくなったきっかけとなった事件でもあるのです。

自分の意に反するか否かに懸ける


いつ頃かははっきり憶えていないが、中原が名人になったかならなかったかの頃だった。大山がごく親しい人を招いて、ゴルフコンペを開催した。

それにどういう事情か知らないが、私も呼ばれ、中原と共に最終組で回った。

予定は、プレーが終わった後、着替えもせずにすぐ、丹沢山麓のゴルフ場から「陣屋」に直行すること、と告げられていた。

先頭で回った大山はまっさきに「陣屋」に着き宴会場の最上席に座った。招かれたのは各回のお偉方で、お年寄りがほとんどだった。

梅雨時のむし暑い中、アップダウンの激しいコースでプレーしながら、早く終え、陣屋で一風呂浴びたい、と楽しみにしていたはずだ。

しかし主催者が宴会場で待っていては席に着かざるをえない。そうして最後に中原と私が「陣屋」に着いたのだが、暑い日で若い中原も私も酷く疲れていた。

宴会場に行くと、一同揃い、もう乾杯する構えになっていた。

それを見て中原は、「えっ、食事ですか。先に風呂に入りましょうよ」とはっきり言った。そのとたん、一同席を立った。控えていた仲居さんが、すぐ浴衣を出す。

大山は一人取り残された。

ここで私は、大山があれほど勝てた理由が分かった。

大山は皆が意に従うか否かに勝負をかけていたのだ。意に反したものに勝てなかったのである。

私はひそかに「知られざる陣屋事件」と思っているのだが、この後大山は中原に勝てなくなった。

引用:最後の握手(P12~13)】

ごく親しい人だけ、それも年配者ばかりを招いて行ったゴルフコンペに若い中原名人が呼ばれているということは、なんとなく作為めいたものを感じます。

中原名人が自分の意に反する人間か否かを試すために、大山名人が人伝に呼び寄せた、とも受け取れます。

人間同士の勝負

「中原が名人になったかならなかったかの頃」といえば、25歳くらい。

自分よりも遥かに年上のお偉方が、今にも宴会をはじめそうな雰囲気の中、堂々と「風呂に入ろう」と言える勇気がすごい。

そして、ポツーンと一人、悔しさに震える大山名人の姿が頭に浮かぶようです。

大山康晴十五世名人と中原誠十六世名人の対戦成績は、大山名人から見て55勝107敗と、ほぼダブルスコア。

1972年の名人失冠後、大山十五世名人はタイトルをいくつか獲得し、69歳で死去するまでA級に在籍し続けましましたが、名人位にだけは返り咲くことはありませんでした。

反対に、これとほぼ同じことをやられた内藤國雄九段(福田家事件)は、その腹いせにタイトル戦の前日の夜に浴びるように酒を飲んで対局に惨敗し、終生カモにされ続けました。

加藤一二三九段は、その才能を若いうちに開花させることができませんでした

「将棋はジャストゲーム」と言い切ったのは若い頃の羽生善治三冠ですが、人間同士の勝負である以上、対局相手にコンプレックスがあるか否かは、やはり勝敗に影響するのかもしれない。

-中原誠, 大山康晴・升田幸三