加藤一二三

40歳にして真の才能を開花させた加藤一二三十段(当時)

2016/10/12

(画像:日刊ゲンダイDIGITALより)

ドン底からの復活! 中原誠五冠(当時)の全冠制覇を阻止した加藤一二三棋王(当時)

30代後半から徐々に勝ち始め、40歳を迎えて才能を開花させる加藤一二三九段。

・・・なのですが、その前にちょっとだけ雌伏の時期があります。

束の間の雌伏

二冠王になったまではよかったのですが、その直後の第4期棋王戦で米長邦雄八段(当時)にフルセットの末に失冠してしまいます。

王将を奪取したのが昭和54年2月8日で、棋王を失冠したのが昭和54年4月3日。

わずか2ヶ月足らずの二冠王でしたが、中原・米長という年下の時代の王者を相手に互角の勝負ができたことは自信につながったことでしょう。

1979年度には虎の子の王将も大山康晴十五世名人に奪取されてしまうのですが、以前のようにズルズルと低迷することはありませんでした。

40歳の才能開花

18歳でA級八段になり、神童といわれた男が、40歳になって才能を開花させたのである。

【引用:盤上の人生 盤外の勝負(P.109)】

1980年度に、3期振りに十段戦の挑戦者として、中原誠十段(当時)に4勝1敗で奪取します。

十段は28歳の時に初タイトルとして獲得して以来、12年振りの戴冠にして、2年連続フルセットで敗退したときの雪辱を晴らします。

1981年度は絶好調で、十段戦で米長邦雄を4勝2敗で防衛し、棋聖戦(後期)の挑戦者にもなります(3連敗で敗退)。

これまで36歳から徐々に復活し、タイトル戦の常連となっていましたが、名人戦の話は出てきませんでした。

それもそのはず、最初の挑戦で惨敗してから、20代のうち3度降級を経験(いずれもその次の期に復帰)し、2度目の挑戦で敗退してからは指し分け程度の成績が続いていました。

「A級(この時代の名称は名人戦挑戦者決定リーグ戦)の地位を維持している」といえば立派ですが、毎年指し分けでは誰も名人候補とは言ってくれません。

それが、この1981年度の第40期順位戦で突然、8勝1敗の好成績を収めて名人戦挑戦者として名乗りを上げるのです。

これらの実績が評価され、1981年度の最優秀棋士賞に選ばれています。

33歳の時に挑んだ2度目の名人戦から、すでにまた9年の歳月が流れており、20歳で名人に挑んだ若武者はもう42歳になっていました。

-加藤一二三