大山康晴・升田幸三

大山康晴十五世名人が二上達也九段を「恐れるに足らず」と思ったきっかけ

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(画像:日本将棋連盟より)

升田幸三実力制第四代名人が衰えた後、1960年代の将棋界。

大山康晴十五世名人が「ナンバー2の格」つまり、自分の地位を脅かす存在だと認めた棋士、それが二上達也八段(当時)と、加藤一二三八段(当時)です。

二上達也八段は当時、そのルックスの良さも合わせて「北海の美剣士」と称された、エリート中のエリートでした。

大山名人を生涯苦手にした二上達也九段

昭和33年で升田の最盛期は終わり、ここから大山の無敵時代が始まる。

それに合わせるかのように、加藤が18歳でA級八段になり、20歳のとき、名人戦で大山に挑戦した。

その戦いは、加藤惨敗に終わったが、ここから、加藤、二上が実力ナンバー2の格になった。

事実、二上はよく勝った。

大先輩の塚田正夫と升田には分がよく、加藤がやや伸び悩んだこともあって、しょっちゅうタイトル戦の挑戦者になった。

【引用:最後の握手(P.41)】

二上八段はタイトル戦登場26度、A級通算27期在籍を誇る、文句のつけようもない昭和の大棋士ですが、獲得したタイトルはわずか5期に終わっています。

なぜこんなことになってしまったのでしょうか。

大山十五世名人は2度目の名人復位後(当時36歳)、これからは年齢による衰えが進む一方であることを自覚し、棋力だけでなく、人間としての総合力で勝負していました。

自分の意に反した中原誠十六世名人には勝てませんでしたが、そうではなかった内藤國雄九段や初手合いのときに散々いたぶるように負かした加藤一二三九段らを相手には、生涯カモにし続けました。

二上九段は残念ながら後者で、大山十五世名人とのタイトル戦成績は、20戦2勝18敗と極端に差がついています。

生涯成績も、二上九段から見て45勝116敗でダブルスコアどころか、トリプルスコア寸前です。

つまりは二上九段は大山名人に「人間的に格下だ」と見られていたわけですが、そのきっかけを作ったのは自分のお人好しさにありました。

*以下の引用文は全て「大山康晴の晩節」(P46~49)より。

お人好しなど恐れるに足らず

真偽は明らかでない噂だが、こんな話が棋界内部に伝わっている。

二上若かりし頃、昭和30年代の中頃のはずだが、王将戦の挑戦者となり、大山に挑戦した。

当時の大山は升田から三冠を取り返し全盛を誇っていた。

そのいちばん強かったときの大山に、二上はよく戦った。

第一局、第二局と連勝し、たちまちカド番に追い込んだ。

カド番の第三局も二上優勢に進み、勝敗が決する二日目の夕食休みのころは、二上必勝になっていた。

ここから憶測めいた話がはじまる。

これはおそらく、二上八段が28歳のときに挑戦した1960年度の第10期王将戦のことだと思われます。

当時の王将戦の制度は現在(4勝先取)とは異なり、「3番手直りの七番勝負」でした。

それはつまり、3勝差がついた(3連勝もしくは4勝1敗)時点で手合が平手から香落ちに変わり、かつ番勝負としても決着がつきます。

なので、二上八段が2連勝した時点で「カド番に追い込んだ」のです。

その3局目も必勝の形勢で、つまりはあと少しで二上王将の誕生、というところでした。

ところがその夕食休憩時に、現在では考えられないような横槍が入り、二上八段の運命が歪みます。

夕食休憩で自室で休んでいた二上のところへ長老が行き「大山さんが気の毒だから、ここは一番負けてやってくれ。どっちにしてもタイトルは君のものになるのだから」と説得した。

その長老が、二上にとって意に逆らえない立場の人であった、ということもあって、二上は了解し、第三局は負けた。

棋譜を見ると、たしかに手を緩めた、という感じはあった。

二上にすれば、香を引かなくとも、王将になれればよい、との思いもあった。

それが甘かった。

大山は第四局から連勝し、四勝二敗で勝ってしまった。

「大山さんが気の毒」というのは、すでに一度「名人に香を引いて勝つ」の被害に遭っているから。

そして、ここで唐突に出てくる「長老」が誰なのかは不明なのですが、この人の願いを聞き入れたばかりに番勝負ごと落とすハメになったのです。

その理由は簡単で、一度手を緩めたが最後、その後すぐに本気に戻れるわけがないからです。

本気ではない人間が勝てる勝負など、この世には存在しないのです。

この話が事実だったとしても、大山が長老に頼んだ、ということはなかったろう。

勝負をしている相手に頭を下げる、なんてプライドが許さない。

もし、二上が負けてやったのだとすれば、お人よしだったのである。

後になって大山の耳にこの噂が入ったはずだ。

そして二上は恐れるに足らず、と思っただろう。

真偽不明だろうと噂だろうと、そんなことは問題ではありません。

二上八段が大成する棋士だったならば、いかに逆らえない長老の頼みといえど、「棋士として、勝負である以上いかなる理由があろうと手を緩めることはできない」とでも言って、そのまま香を引くべきだったのでしょう。

「二上八段はそんなお人好しな棋士ではない」と思われていれば、大山名人に軽視されることもなかったのです。

一度出来てしまった両者の力関係は終生、変わることはありませんでした。

それが上述の対戦成績に表れていますし、大山十五世名人の全盛期以後は「お客さん筋」の一人として、勝ち星を献上し続けることになりました。

-大山康晴・升田幸三