加藤一二三

全盛期を過ぎた後の加藤一二三名人・十段(当時)

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(画像:とちぎ将棋まつりブログより)

加藤一二三名人・十段になり、棋界の頂点に立ったときが、ひふみんの棋士人生のピークでした。

しかし、誰しも人生の絶頂期があれば、当然下り坂もあるわけで、ひふみんの場合は名人になった直後からそれは訪れます。

王者の逆襲

名人になって約半年後、今度は十段の防衛戦に、中原誠前名人を迎えました。

9連覇していた名人を失い、12年振りに無冠になっていた中原前名人はやる気十分。

中原前名人は「タイトルが全部なくなるとは思いませんでした。身軽な意味もありますが、やはりチャンスなので、ぜひ十段奪回を目指したい」ときっぱり。

リーグ戦の途中から、早々と七番勝負の日程を私に聞いて、手帳にメモしたりし、やる気十分の中原である。

●引用:「将棋ペンクラブログ」より

結果はお察しの通り、中原前名人が制して無冠を返上し、ひふみんは名人のみに後退します。

そしてこのシリーズが、中原-加藤のタイトル戦での最後の激突となりました。

2人の通算対戦成績は、加藤一二三九段から見て109戦41勝67敗1持将棋(勝率:0.380)

最初に1勝21敗だったことを考えると、全盛期の中原名人を相手にかなり善戦しています。

最年少名人を許す

そして翌期の名人防衛戦の挑戦者は、新鋭・21歳の谷川浩司八段(当時)。

初参加の第41期A級順位戦を7勝2敗、プレーオフで中原誠十段(と、棋聖の二冠王に復帰していた)を破っての登場。

時の名人は加藤一二三だったが、谷川が勝つに決まっていると、棋士を含めた事情通は予想し、その通りになった。

名人戦の結果は、谷川の4勝2敗。

この結果を芹澤は、「そこに置いてあるみかんをすっと取るようにして名人になった」と書いた。

言い得て妙、というべきだろう。

●引用(P.41):盤上の人生 盤外の勝負

そういえば、ひふみんは名人になる前も、「加藤一二三が勝てるわけない」と仲間に思われていましたが、このときも同じでした。

こうして22年かけて手に入れた名人位をわずか1期で明け渡し、無冠に転落しました。

全盛期を過ぎて

十段も名人も失い、棋士人生のピークを過ぎたひふみん。

あとはしばらく、さしたる実績はありません。

1985年に王位になったのが、タイトルホルダーとしての最後。

本命の順位戦はというと、失冠直後の第42期順位戦では、6勝3敗の2位で格上の存在感をアピール。

しかし、その翌期(第43期)のひふみんは一転、降級スレスレ。

王位を獲得した年なので、不調というわけではなかったはずなのに。

さらにそのまた翌期(第44期)は挑戦争いに絡むも、大混戦の末プレーオフで敗退。

その混戦を勝ち抜いたのは、63歳の大山康晴十五世名人でした。

という具合に、良かったり悪かったりを繰り返したあと、第47期A級順位戦で2勝しかできずに終わり、ついに降級が決まりました。

このとき加藤一二三九段、49歳。

年齢的にも実績的にも、下降トレンドに入ったのは間違いなし、・・・・・だったのですが。

-加藤一二三