加藤一二三九段は53歳でA級に復帰し、62歳までA級棋士で在り続けた
2018/10/08
ひふみんこと加藤一二三九段は43歳で名人を失冠した後、その勢いは次第にしぼんでいきます。
1985年に王位を失冠したのを最後に、タイトル戦からは遠ざかりました。
そして49歳のとき、第47期A級順位戦で2勝7敗に終わり、B級1組への降級が決まりました。
いかに偉大な棋士といえども、50歳を迎えれば、誰しも衰えます。
しかし『加藤一二三』という棋士は、下降トレンドに入ったかに見えても、そのままズルズルと落ちてはいかないのです。
53歳のA級復帰&54歳のNHK杯優勝
(画像:将棋順位戦30年史 1984~1997年編
より)
B級1組に落ちてから3期は、可もなく不可もない成績でしたが、4期目になって突然、猛烈な力を発揮します。
1992年度、第51期B級1組順位戦で9勝3敗の成績で、なんと53歳にしてA級復帰を果たします。
さらに加藤九段は54歳のとき、1993年度末の第43回NHK杯で優勝します。
1993年度(平成5年度)の第43回大会で、私は好調を維持した。
(略)
1994年(平成6年)2月21日に行われた決勝戦の相手は佐藤康光竜王。前の年に羽生さんから竜王を奪取していた。当時、最も勢いに乗っていた若手の一人である。(略)結果は148手までで私の勝ち。会心の一局だった。
対局後、佐藤竜王から「今、加藤先生のような迫力のある将棋を指す人はいない」と言われたのは嬉しかった。
(引用:鬼才伝説 - 私の将棋風雲録
P.119~120より)
同棋戦における自身7度目の優勝であり、羽生善治竜王(10回)と大山康晴十五世名人(8回)に次ぐ、歴代3位の記録です。
『神武以来の天才』と並ぶ加藤九段の代名詞である、『1分将棋の神様』の異名に違わぬ快挙でした。
A級で9期に渡って戦い抜く
A級に復帰したとはいえ、さすがの加藤九段といえども、全盛期のような活躍をすることはできませんでした。
挑戦権を争うパワーはすでになく、毎年のように降級を争うことになります。
A級に戻ったものの、年間の勝ち星は減る一方で、年に10勝以下という年もあったが、それでもA級に留まっていた。
A級順位戦の最終戦はテレビ中継されるが、誰が挑戦者になるか、とともに、落ちるのは誰か、が注目される。加藤は毎年降級争いに絡んで、準主役になっていた。
そんななかでの頑張りは感動的であったが、60歳を超えると、さすがに限界が来て、平成13年、62歳で落ちた。
中原、米長も、50代半ばでA級から落ちた。それを思えば、加藤の棋才は大したものだったとわかる。
(引用:盤上の人生 盤外の勝負
P.116より
昇級後、羽生世代の精鋭たちが続々とA級に昇級してきた1990年代において、9期に渡って戦い抜きました。
基本的に、毎年のように最終局が「勝てば残留、負ければ降級」の勝負であり、それをことごとく制してA級の地位を守り抜いたのです。
中原・米長と比較するとその凄さがよく分かる
第60期にとうとう陥落が決まるわけですが、そのときなんと62歳!
A級通算在籍36期は、大山康晴十五世名人の44期に次ぐ、歴代2位の記録です。
60歳を超えてA級に在籍していたのは、大山康晴十五世名人、有吉道夫九段、花村元司九段を含めたった4人しか記録していない快挙。
同時期に覇を競った、中原誠十六世名人は52歳、米長邦雄永世棋聖は54歳、谷川浩司九段は51歳のときにA級陥落が決まりました。
中原誠十六世名人は61歳、米長邦雄永世棋聖は60歳で引退し、その棋士人生を終えました。
加藤九段はその2人とほぼ同じ年齢のときにA級へと復帰し、2人が引退したときとほぼ同じ年齢のときにもまだ、A級棋士であったわけです。