女流棋士

対局放棄事件に翻弄された女流棋士・渡部愛女流初段

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(画像:マイナビ中継ブログより)

渡部愛女流初段の名は、「わたべあい」ではなく「わたなべまな」と読みます。

今からおよそ10年前、将棋界に女流棋士分裂騒動なる事件が起きました。

結局、日本将棋連盟所属の女流棋士の一部だけが、LPSAなる新団体をつくって一応の決着がついたはずでした。

前代未聞の対局放棄事件

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(画像:マイナビ中継ブログより)

ですが2013年1月、またしても将棋界を揺るがす大事件が起こります。

それが、石橋幸緒女流四段(当時)による、対局放棄事件です。

LPSAの代表理事でもあった彼女が、対局放棄に至ったきっかけの一つには、渡部愛女流初段の処遇にまつわる連盟とLPSAの見解の相違が背景にありました。

*以下の引用は全て将棋世界2015年2月号(P.131)より

スキャンダルの渦中で

渡部は高校を卒業した12年春、女流棋士を目指して東京・蒲田に移住した。

両親には「やりたいようにやりなさい」と励まされた。

都会での独り暮らしは不安だったが、近くに住む藤森奈津子女流四段(LPSA)が親身になって世話をしてくれたという。

LPSAは12年7月、独自の基準によって所属する渡部を3級の女流棋士として認定した。

しかし将棋連盟や女流棋戦主催者の理解を得られず、渡部は宙に浮いた存在となってしまった。

渡部さんは1993年6月生まれなので、2012年7月当時、まだ19歳。

「宙に浮いた存在」とは具体的にどうなったかというと、当時の連盟主催の女流棋戦にはアマチュア扱いとして出場しています。

LPSAが独自に認定した渡部愛女流3級を、日本将棋連盟は女流棋士として認めず、対局放棄事件につながります。

13年1月にはLPSAの代表理事を務めた女流棋士が、渡部の女流棋士認定の問題などを理由に、自身の対局を放棄する事態が起きた。

LPSAと連盟や女流棋戦主催者との関係はさらに悪化した。

渡部にとって、その時期はかなりつらかったと思う。

しかし蒲田の将棋クラブに通って将棋の腕をひたすら磨いた。

参考:日本女子プロ将棋協会(LPSA)による マイナビ女子オープン対局放棄についての記者会見の模様

その結果、第6期マイナビ女子オープン準決勝というそこそこ大きな舞台で、里見香奈女流女流四冠(当時)が不戦勝となりました。

まだ19歳の少女にとって、それはそれは辛い時期だったことでしょう。

せっかく女流棋士になるために上京してきたのに、いきなりスキャンダルの渦中に放り込まれ、しかも本人には一切の非はないのですから。

でも、不遇な環境に身を置くことになっても、ひたすら将棋の腕を磨き、自分がするべきことを黙々とこなしていたのはすごいと思います。

連盟による女流3級認定とその後

詳しい事情は一切世間に対して公表されませんでしたが、対局放棄からしばらくして一応の解決が図られました。

その結果、渡部さんは連盟によって特例で女流3級として認められ、石橋女流四段はLPSAからも去りました。

連盟は13年10月、諸事情によって渡部を特例女流3級とした。

そして14年6月、新体制となったLPSAと話し合いを重ねた結果、相互協力関係を得られると判断し、両者で合意書を締結した。

渡部が女流棋士になるまでの歩みは、このように平坦ではなかった。

以後は各棋戦で実績を挙げて活躍した。14年3月には初段に昇段した。

*上記の文章はそのまま引用していますが、上記の「13年10月」はおそらく、「13年7月」の誤表記です。

参考:LPSA、渡部愛さんへの対応について

団体同士のゴタゴタに振り回され、ようやく女流棋士としての身分が保証されてから約3年。

彼女のこれまで戦績を表にまとめました(*2016年は10月28日対局分まで)。

年度 対局数 勝数 負数 勝率 年齢
2013 13 9 4 0.6923 20
2014 28 16 12 0.5714 21
2015 25 13 12 0.5200 22
2016 18 14 4 0.7777 23

それまでの不安定だった日々がウソみたいに、毎年安定した成績を残しています。

女流棋士の強さのバロメータは対局数25~30なので十分及第点で、特に今年の勝ちっぷりは凄まじい。

まだ23歳と若いので、女流タイトルに挑戦する日はきっと訪れるでしょう。

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