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広島・黒田博樹投手並みに見事な、木村義雄十四世名人の引き際

(画像:wikipediaより)

広島の黒田博樹投手が今シーズンをもって引退しました。

2014年オフ、バリバリのメジャーリーガーだった黒田投手は、20億ともいわれるメジャー球団からのオファーを蹴って広島に復帰しました。

2015年には11勝をあげて、40歳を迎えてなお先発投手として活躍しました。

そして今年、また10勝をあげて広島を25年振りのリーグ優勝に導きました。

どれだけ偉大な野球選手といえど、全盛期のような活躍が出来なくなって引退していくことを考えれば、黒田投手の引退は、キャリアの晩節を汚さない、見事な引き際でした。

木村義雄十四世名人の引き際

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(画像:wikipediaより)

黒田選手のように、見事な引き際を見せた人物が、将棋界にもいます。

将棋界の黎明期に第一人者として、初の永世名人になった木村義雄十四世名人です。

木村名人は47歳で名人を失ったあと、そのまま潔く引退されました。

木村義雄は塚田に敗れたあと、A級で2期戦い、塚田に再挑戦して破り、名人に返り咲いた。

そして、大山に敗れて引退した。

これ以上はない、見事で潔い引き際だった。

●引用:大山康晴の晩節

このときに残したのが、有名な「よき後継者を得た」の名言です。

その言葉通り、大山康晴十五世名人は以後、将棋界の黎明期に君臨した木村名人の後継者に相応しい実績を残しました。

木村名人の略歴

関根金次郎十三世名人が名人位を返上し、実力制名人に移行したのが1935年。

1937年に名人位の権威をかけて阪田三吉と戦ったのが、南禅寺の決戦。

終戦後、一度は名人位を失うも後に取り返し、その後は升田幸三八段(当時)と大山康晴八段(当時)を1度ずつ退けました。

しかし年齢による衰えは隠せず、大山八段(当時29歳)に敗れたのが1952年の第11期名人戦のことで、これが有名な「名人の箱根越え」です。

そして前述のとおり、木村名人は名人を失ったあと、47歳で「潔く引退」しました。

引退したのち、影で将棋界を操るようなことはせず、1986年11月17日に亡くなりました。

「将棋の日」に「81歳(盤寿)」で亡くなるという最期で、死してなお将棋の大名人でした。

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