大山康晴十五世名人が「盤外戦術」を行った理由
大山康晴十五世名人が現役時代、自分の立場を脅かしそうな、有力な若手棋士を相手に「盤外戦術」を仕掛けていたことは有名な話です。
「盤外戦術」とは何かというと、早い話が「タチの悪いパワハラ」みたいなものです。
「大山流盤外戦術」は、中原誠十六世名人には通じませんでしたが、それ以外の棋士には通用しました。
衰えを見越して
大山康晴十五世名人といえば、数々の偉大な記録を残した「超」のつく大棋士。
- タイトル獲得通算:80期
- 通算勝数:1433勝
- 69歳A級在籍
ただでさえべらぼうに強いのに、なぜ「タチの悪いパワハラ」みたいなことをしていたかというと、人間の誰もが通る道を踏まえた、それなりに理由がありました。
私は記録に弱く、他の名棋士の50歳過ぎの勝ち星とを具体的に比べることはできないが、感じとしては大差だと思う。
名棋士といえども、老いて勝てなくなると、年間10勝も苦しくなってしまうのだ。
ところが大山は、タイトルこそ数多く獲れなかったが、勝ち星数は落ちなかった。
どうしてかと言えば、全盛時代にいずれ下り坂が来ることを覚悟して、そのときのための備えをしておいたからだろう。
最近でいえば、谷川浩司九段がそう。
51歳の時にA級陥落が決まり、近年は対局数も少なく、勝率が5割にも満たない成績が続いています。
戦う相手にコンプレックスを植えつける
大山は絶対的な第一人者となったが、その地位を長く維持するためにしたことは、まず人間的な威厳を保ち、同時に戦う相手に、大山には勝てない、とのコンプレックスを植えつけることだった。
同世代の棋士は、さんざん叩いたから問題ない。
為すべきことは次世代の有望な才能を潰しておくことである。
(略)
厳しかったのは盤上ばかりではない。将棋会館での日常や、対局前夜などでも、手を緩めなかった。
これが「大山流盤外戦術」の理由。
それを食らって芽を潰された棋士には気の毒ですが、当の本人は勝負師としての生き残りをかけた、勝負の一環だと考えていたようです。
大山の場合は、将棋界全体が盤上のようなものであり、そのなかでの日常的な付き合いも、指し手の一部であった。
つまり大山は、人間としての総合力で勝負に勝っていたのである。●引用:大山康晴の晩節
実際にやったことはともかく、「下り坂が来たときの備え」をしていたのは、超一流の人間の気質として見習うべきことです。
老いると分かっていても、それをなかなか受け入れられないのが人間の弱さ。
それまでいい状態だったことから変わろうとするのは、勇気の要ることですからね。