奨励会

今泉健司三段(当時)「中座さん、おめでとうございます」

2017/06/23

1996年3月7日、第18回三段リーグで12勝6敗の成績をおさめた中座真三段が、奇跡の昇段を果たしました。

絶望的だった昇段の報を聞いた中座三段が驚きのあまり、その場に崩れ落ちた瞬間の写真は今でも有名です。

その顛末は「負ければ奨励会退会」の将棋に負けた中座真三段(当時)に起こった奇跡にまとめましたので、是非読んでみてください。

運命の交錯

将棋界のピューリッツアー賞ものの写真が撮影される直前、中座三段に祝福の言葉を贈った奨励会員がいました。

それが奨励会員時代の今泉健司三段(当時)であり、中座三段が完敗した18回戦の相手でもあるのです。

やがて他の対局が終わり、連盟職員から吉報が届けられた直後、歩み寄って祝福の声を掛けた一人の奨励会員がいた。

「中座さん、おめでとうございます」

今泉だった。中座とは東西で所属が分かれ、普段の付き合いはなかったが、共に三段リーグを戦った者として心から昇段を称えた。中座の記憶の底に、今泉の声は確かに刻まれていた。

「ずっと忘れていましたが、言われてみて、今ふっと記憶が甦りました。あの時、確かに今泉さんがおめでとうございますと言ってくれて・・・・・とにかく気が動転して座り込んでしまったんです」

廊下でうずくまった中座の姿をとらえ、週刊将棋に掲載された一枚の写真は今も語り草になっている。

●引用:将棋世界2015年3月号「過去との決別 27年の越境」より

皮肉なことに、勝った方が昇段を逃し、負けた方が奇跡の昇段を果たしたのです。

絶望的な確率をものにしてプロになった中座七段と、後に41歳でプロになった今泉四段が交錯していた、貴重な記憶。

どこまでも皮肉な運命

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(画像:日本将棋連盟より)

今泉三段はその当時22歳で、16回戦を終えた時点で11勝5敗で5番手につけていました。

ところが17回戦で黒星を喫して昇級戦線から脱落し、18回戦で中座三段と相対します。

そして先述の通り、中座三段に勝って12勝6敗でフィニッシュし、昇段できなかったとはいえ、12勝6敗で3番手になりました。

現行の制度なら次点がつき、それを2回とればフリークラス編入の権利を得られます(つまり多少待遇は不利とはいえプロになれる)。

しかし当時はその制度は無く、制度化されたのは1997年(第20回)からのこと。

しかも、運命はどこまでも皮肉なもので、それが制度化された後の第23回で、今泉三段は次点を獲得しているのです。

27年越しの宿願、そして順位戦昇級

1999年、今泉三段は年齢制限を迎え、退会を余儀なくされます。

サラリーマンとして働く傍ら将棋にも熱心に取り組み、2014年12月にフリークラスに編入します。

1987年に奨励会に入会して以来、実に27年の年月が過ぎ、当時14歳だった少年は41歳になっていました。

そして2016年11月17日、規定の成績を満たし、フリークラスから順位戦に昇級しました。

今泉健司四段、順位戦昇級おめでとうございます。

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