谷川浩司九段の奨励会時代、「谷川をつぶす会」なるものがあった
2017/02/12
内藤國雄八段(当時)に「将来の名人候補」と認められた谷川少年が奨励会に入会し、棋士への道を歩み出したのが11歳のとき。
当時は随時入会試験が行われていたくらいですから、奨励会に入る少年の数も少なかったということ。
小学生の奨励会員など他にいるはずもなく、一番年の近い人ですら5歳上の中学生という完全アウェーな状況。
同世代が1人もいない空間の中にたった1人という恵まれない環境でも、谷川少年はその才能を武器に勝ちまくります。
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順風のち逆風
内藤國雄八段に「将来の名人候補」と見抜かれた才能を遺憾なく発揮し、最初の1年で一気に5級から3級まで上がります。
しかし、最初から最後まで順風な人生などあり得ないように、ここで壁にぶつかります。
入会後、初めの1年間で5級から4級、3級と進みましたが、小学6年で3級から2級に上がるときに壁にぶつかります。
2勝8敗と成績が低迷し、また2勝8敗だと4級に落ちるというところまでいきました。
2級に上がるまでには、7連敗を喫するなど、11か月もかかり、これまでにない敗北感や停滞感を味わいました。
(引用:「常識外の一手」より、以下の引用も同じ)
豊島将之七段も奨励会時代、小学5年生で1級まで昇級していましたが、初段に上がる際に1年半かかりました。
渡辺明竜王も2級で停滞した経験があり(将棋の渡辺くん第2巻21ページより)、どうも奨励会の1級や2級で壁にぶつかるのはよくあることのようです。
谷川をつぶす会
急に勝てなくなった原因は、先輩奨励会員たちが密かに結成していた、「谷川をつぶす会」にありました。
「谷川をつぶす会」と名前だけ聞けば、いかにも陰湿な雰囲気が漂っていますが・・・。
あとで知ったことなのですが、当時の関西奨励会には「谷川をつぶす会」があったのです。
いじめというわけではなく、「年下の谷川だけには抜かれないようにするぞ」と、気合を入れて厳しい将棋を指すということです。
私自身は伸び悩んで情けない気持ちでしたが、厳しく鍛えられたことは後にプラスでした。
「つぶす会」どころか「伸ばす会」だったと思います。
中学時代にスムーズに昇級できたのも、1年近く苦しんだ時期があったからだと思います。
その実態は、先輩奨励会員たちが「がんばるぞ!オー!」と気合を入れ直しただけの話。
自分より年下の子どもが猛スピードで昇級していく姿を見れば、発奮するに決まってる。
本気を出したら大人は強い。
12、3歳の少年が勝てなくなっても無理はありません。
それに、本当にいじめなら、あとで知るどころかリアルタイムに感じているはずですしね。
史上2人目の中学生棋士
将棋に限らず、結果が出ない日々が続けば、苦しく辛い。
しかし、その苦悩の日々を乗り越えれば、それは飛躍への糧となる。
奨励会入会後、わずか3年9カ月。
谷川少年は14歳8カ月という、当時史上2番目の若さで、四段に昇段します。
加藤一二三九段に次ぐ、史上2人目の中学生棋士誕生の瞬間でした。