夭逝した天才棋士・山田道美九段を知っていますか?
2018/10/08
昨年、聖の青春が公開されて話題になりました。
村山聖九段は29歳の若さでA級棋士のまま亡くなりましたが、将棋界にはもうひとり、若くしてA級棋士のまま亡くなった棋士がいます。
将棋世界の連載「盤上盤外 一手友情」の著者である田丸昇九段が、その棋士の生涯を一冊の本にして出版したことがあり、その冒頭はこう始まります。
私にとって、終生忘れられない棋士がいます。
1960年代にタイトル戦で活躍した山田道美九段です。
(引用:熱血の棋士 山田道美伝より)
山田道美(やまだみちよし)九段は1960年代後半、大山時代と中原時代の狭間で、輝かしい実績をあげた棋士のひとりでした。
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大山康晴の全盛時代
(画像:40年前に奇病によって36歳で急死した山田道美九段より)
当時全盛期にあった大山康晴十五世名人を第10期棋聖戦(1967年前期)で倒し、その翌年も中原誠五段(当時)の挑戦を退けています。
また、打倒大山のために、親しい棋士と共に共同研究・実戦を行い、これが現在の研究会の草分けとされています。
しかし1970年6月18日、突然の奇病によりA級棋士のまま命を落としてしまいます。
このとき山田九段は、まだ36歳の若さでした。
山田九段は当時の一流棋士の立場でありながら、自分で用意した部屋に奨励会員を集め、共に研鑽していました。
それが後に「山田教室」と呼ばれ、著者の田丸九段はその中のメンバーのひとりだったというわけです。
山田九段がこうして後世に名を残しているのは、無敵時代の大山康晴十五世名人の打倒を果たしたことと、現代の研究会システムの先駆者であったことが大きいのです。
苦悩多き青年時代
(引用元:http://shogifan.hatenablog.jp/entry/2013/07/24/211657)
山田九段の生涯がどのようなものであったのかは、上記の本を参照してほしいのですが、かなり苦悩の多い青年時代を送っています。
棋士を志したときは親に大反対され、反対を押し切って奨励会に入会したと思えばさっぱり勝てず、生活のためのアルバイトは辛く、ようやくプロになっても貧しさは大差がない。
そうしたもろもろの苦しさから、果ては将棋を指すことそのものを懐疑するようになってしまいます。
そんな迷走がよくわかる随筆が残されています。
将棋とはしょせん娯楽であり、棋士とはその娯楽に寄生する賭博師ではないか。
将棋によって金を得ようとする不純なものがある。
自分は何のために将棋を指しているのだろうか。
盤に向かって苦闘することに、何の意義があるのか。
どんなに一生懸命指しても、苦闘の末に作った棋譜は観戦記と言う有り合わせのボロを着せられ、死骸のように新聞に載って捨てられた。
将棋を指すことは、自分の一生を打ち込むことに値するのだろうか。
報われなさからくる苦悩と懐疑の心情が、これでもかというくらいに伝わってきます。
「自分は何のために○○をしているのだろうか」と考え出したら、人間なかなかその迷宮から抜け出ることはできません。
この世の無情さ
悩み苦しんだ青年時代を乗り越え、大山名人を破って一流棋士の地位を手に入れ、さあこれからというところで天に召されてしまったのです。
山田九段が将棋に対して真剣に向き合い、また後輩に対して温かく接したその姿勢は、尊敬の念を抱かせることになるでしょう。
しかしそれと同時に、なぜこんなにも立派な人物が若くして亡くならなければならなかったのか?
この世の無情さというか、理不尽さというか、とにかくやりきれない気持ちにもなる一冊です。