大山康晴十五世名人の生涯通算成績にまつわる知られざるエピソード
1985年12月に史上3人目の中学生棋士としてプロ入りして以来、数々の大記録を残し続けてきた羽生善治竜王。
その記録の偉大さを語る上で、必ず比較対象として引っ張り出されるのが、昭和の巨匠・大山康晴十五世名人です。
その大山十五世名人の生涯通算成績は2216戦1433勝781敗2持将棋なのですが、実はこの通算成績には知られざる秘密があります。
通算1433勝781敗の秘密
(画像:日本将棋連盟より)
棋士の各種成績を記録しているのはもちろん、将棋の総本山たる日本将棋連盟です。
しかし、なんと日本将棋連盟には、1954(昭和29)年以降の記録しか残っていないのです。
昭和20年5月に将棋大成会(日本将棋連盟の前身)の本部は空襲によって焼失し、戦前の公式対局の資料はほとんど消滅しました。
戦後も混乱した状況が続いて資料は不明確です。棋譜として資料が現存しているのは昭和29年以降だそうです。
(引用:田丸昇ブログ と金横歩きより)
日本将棋連盟の棋士データベースによると、大山名人が棋士になったのは1940(昭和15)年とあります。
ならばその間の、大山名人の記録とはいかに?
自分で記録を取り続けた
その答えは、大山名人自らが自身の対局を記録しており、それが公式記録として認められているのです。
大山だけは、いつか記録が貴重な物になると思っていた。こういったところが天才たる所以なのだが、ともあれ、現在残されている大山の生涯勝数の戦前の部分は、大山の手帳が原資料になっている。
だが、これを公的なものではない、と言う人はいない。信じるに足る、と誰もが思う。だから生涯1433勝は公式記録なのである。
(引用:最後の握手 P.7より)
戦中戦後の物不足の中、誰に強制されるわけでもないのに記録を取り続けたということですから、ただただその先見性に感服するばかりです。
羽生善治竜王が1433勝を超える日
(画像:棋聖戦中継ブログより)
羽生善治竜王が通算1300勝に到達したのが、2014年11月21日のことでした。
羽生善治名人(王位・王座・棋聖、44歳)が11月20日、東京・将棋会館で行われた第64期王将戦挑戦者決定リーグ・三浦弘行九段戦に勝ち、公式戦通算1300勝を達成いたしました。
1300勝達成棋士は大山康晴十五世名人(物故)、中原誠十六世名人(引退)、加藤一二三九段に次いで4人目となります。
(引用:羽生名人、1300勝を達成!より)
それから約3年が経過し、羽生善治竜王の通算成績は、1956戦1391勝563敗(勝率:0.7118)です(2018年1月4日現在)。
注目すべきはその勝利数で、もうすぐ史上2人目の1400勝が迫っています。
早ければ2018年度中に、大山康晴十五世名人が「文字通り」自らの手で記録した、歴代1位の1433勝を塗り替えられることでしょう。