羽生善治少年が将棋で負けて泣いた日
2017/06/07
羽生善治三冠の少年時代の有名なエピソードといえば、各地の将棋大会で優勝を総ナメにしていたこと。
その際、人ごみの中でも両親が見つけやすいように、広島カープの帽子をかぶっていたことから「恐怖の赤ヘル少年」という通り名までついたほど。
でも、今回のお話は、羽生少年が赤ヘル少年として名を馳せる前のこと。
プロになるほどの才能を持って生まれた少年の例に漏れず、羽生少年にも将棋で負けて泣いた日のエピソードがありました。
羽生少年が将棋で負けて泣いた日
羽生善治少年が八王子将棋クラブで15級をもらい、通い始めてから1年ほどでアマ初段になっていました。
あと1勝で二段に昇段、というところまできたのですが、あいにくその日は将棋を指しに来たお客さんが少なく、席主の八木下さんは手合をつけるのにも一苦労でした。
しかし、それまで破竹の勢いで昇級してきた羽生少年なら勝てるかも、とアマ四段の人との角落ち戦を組んでみることにします。
でもお察しの通り、アマ四段とアマ初段の実力差は大きく、羽生少年に勝ち目のない将棋になってしまいます。
勝敗にこだわらなかった羽生少年が、1回だけ涙で眼をうるませたことがあるという。
あと1勝すれば二段になる1局で、相手は四段の角落ち戦。どう転んでも羽生少年に勝ちのない局面になった。
どうしても負けたくない将棋で、負けが確定的だと悟ったとき、人はどんな行動をとるのか。
将棋を長く続けている人なら、その気持ちは痛いほど分かるでしょう。
そう、「投げるに投げれなくて指し続ける」のです。
自分を負かした相手を泣きながらにらみつける
八木下 「羽生さんは早見え早指しだったから、ほとんど長考しなかった。だから珍しくてね。まあ長考というよりは投了したくないから、よそ見したり、考えているフリをしているだけなんです。そしたら、お母さんが痺れを切らして『指さないならもう帰りますよ!』と叱って・・・。仕方なく羽生さんは1手指して投了したけれど、仁王立ちになって、相手の四段をにらみつけていた。ポロポロと涙を流してね。私が知っている限り、羽生さんが道場で涙を見せたのはこの1回だけ。だからすごく印象に残っています」
(引用:将棋世界Special Vol.2 「羽生善治」
P.97~98より)
局面を見れば負けだと分かってはいても、人間はその現実をすぐには受け入れられないのです。
悔しさのあまり、負かされた相手を泣きながらにらみつける。
羽生三冠は若い頃、「羽生ニラミ」という対局中の仕草がありましたが、それとはまた別の羽生ニラミ。
礼儀としてはとても褒められたものではありませんが、その悔しい気持ちは痛いほど分かる。
普段は勝敗にこだわらなかったとしても、昇段のかかった将棋を落とせば、誰だって悔しいに決まっています。