名人になれぬまま、今年でA級8年目の渡辺明竜王
将棋界で毎年6月といえば、順位戦の開幕。
近年の順位戦の摩訶不思議な現象といえば、渡辺明竜王が名人どころか、まだ一度も挑戦者にすらなれていないこと。
竜王戦では滅法強く、2004年に20歳で竜王になって以来、9連覇を含む通算11期獲得。
唯一の永世竜王有資格者であり、昨年度末には永世棋王の資格も得ました。
これほどの実績を重ねていれば、名人にもとうの昔になっていそうなものなのですが、なぜかそうは問屋が卸してくれないのです。
渡辺明竜王のA級クロニクル
(画像:竜王戦中継ブログより)
渡辺明竜王がA級に初参加したのは26歳のとき、第69期(2010年度)から。
以来、過去7期の間ずっと、「挑戦権争いには絡むけど、なんだかんだで挑戦者にはなれない」というパターンを繰り返してきました。
7年間の成績を以下の表にまとめましたが、これを見て分かる通り、負け越した年はまだありません。
年度 | 期 | 年齢 | 勝敗 | 順位 |
---|---|---|---|---|
2010 | 69 | 26 | 6勝3敗 | 2 |
2011 | 70 | 27 | 7勝2敗 | 2 |
2012 | 71 | 28 | 5勝4敗 | 4 |
2013 | 72 | 29 | 5勝4敗 | 3 |
2014 | 73 | 30 | 6勝3敗 | 2 |
2015 | 74 | 31 | 6勝3敗 | 3 |
2016 | 75 | 32 | 6勝3敗 | 3 |
これが並の才能のA級棋士なら、諸手を挙げて賞賛するのですが、渡辺竜王は違います。
史上4人目の中学生棋士であり、羽生善治三冠の「永世七冠」を二度に渡って阻止している、そこらの棋士とは別格の棋士なのです。
つまり、名人になって然るべき棋士なのです。
なのに、まごまごしているうちに、佐藤天彦名人に先を越され、さらには稲葉陽八段にも先を越されました。
そして今年度は、6歳年下の豊島将之八段にも追いつかれ、気がつけば後輩棋士が3人もいる状況になっています。
渡辺明竜王のタイトル獲得クロニクル
いまひとつピリッとしない順位戦はさておき、タイトル戦の方も振り返ってみましょう。
史上8人目の三冠王
A級1年目の2010年度、竜王戦では羽生善治名人(当時)の挑戦を4勝2敗で退けました。
3連敗からの4連勝でスレスレの防衛だった2年前(2008年)とは違い、盤石の強さを感じる内容でした。
2011年度には19連覇していた羽生善治王座から3連勝で奪取し、竜王獲得後初めて複数冠になりました。
2012年度にはその王座を取り返されるも、年度末に棋王と王将を奪取して、史上8人目の三冠王に輝きました。
現時点では、渡辺竜王の棋歴のピークはここらへんです。
2013年度も早々に棋聖戦挑戦者になり、羽生善治棋聖(王位・王座)との将棋史上初の三冠王対決が実現。
ここで勝っていれば、将棋界の覇権は渡辺竜王のものだったのですが、1勝3敗であっさり敗退してしまいます。
竜王失冠と復位、そして永世棋王
その秋には、それまで9連覇していた竜王を失冠してしまいます。
棋王・王将はいずれも防衛したものの、その1年後には王将までも失冠の憂き目に遭います。
気がつけば棋王のみになり、2014年度は結局、一度もタイトル戦の挑戦者になれずに終わります。
2015年になってようやく竜王に復位し、棋王も防衛。
2016年もその2つのタイトルをフルセットの末に防衛し、棋王は5連覇で永世称号の資格を得ています。
将棋史に名を残す棋士
タイトル獲得は通算19期で、米長邦雄永世棋聖と並んで歴代5位タイ(2017年6月3日現在)。
まだ33歳ですから、節目の20期になることはほぼ確実で、おそらく谷川浩司九段の記録(27期)も抜くことでしょう。
渡辺竜王が将棋史に名を残す棋士なのは間違いないのですが、それでも名人になるかならぬかでは大きな差があります。
若い頃から「打倒羽生世代の旗頭」として、数々の名勝負を生んできた渡辺竜王には、是非とも名人位に就いてほしいと願っています。