歴代中学生棋士たちは33歳のとき、意外にヒサンな目に遭っている
2017/12/28
渡辺明竜王もすでに33歳になり、A級にもタイトル戦の対局相手にも後輩が増えてきました。
そしてこの「33歳」という年齢に着目すると、面白いことが分かります。
渡辺明竜王以前の歴代中学生棋士、つまり加藤一二三九段、谷川浩司九段、羽生善治三冠が33歳だったときの戦績を調べると、3人ともこぞって悲惨な目に遭っているのです。
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加藤一二三九段の場合
東京タワー🗼の夜景が美しい(o^^o) pic.twitter.com/OIVGHP6zgi
— 加藤一二三@6/4金沢文庫将棋サロン (@hifumikato) 2017年5月25日
加藤一二三九段は33歳で名人戦挑戦者となり、20歳で最初に挑戦して以来、13年振りに名人 戦の舞台に立ちます。
迎え撃つは、当時25歳の若き王者・中原誠名人。
その前年に大山康晴十五世名人から名人位を奪取し、初めての防衛戦でした。
そんな中原の、初の名人防衛戦の相手は加藤一二三だった。
「神武以来の天才」と騒がれ、18歳でA級、20歳で名人挑戦者になってから、13年ぶりの名人挑戦者である。
加藤も期するものがあったろうが、結果は4連敗で負け。全く勝負にならなかった。
このシリーズは、加藤の注文で全局矢倉戦、それもすべて同型という戦いだったが、中原は相手の望み通りに指し、そして完勝した。
(引用:盤上の人生 盤外の勝負 P.15~16より)
このシリーズの敗退がショックだったのか、以降約2年間は全く奮わない雌伏の時期を過ごすことになります。
加藤一二三九段の33歳:13年振りの名人戦で中原誠名人にスコア的にも内容的にも完敗
参考:第32期名人戦七番勝負
谷川浩司九段の場合
(画像:棋聖戦中継ブログより)
谷川九段が33歳のときに、羽生善治七冠の誕生を許すという、棋士人生の中でおそらく最も屈辱的な経験をしています。
谷川九段は1991年度末、29歳のときに四冠王(竜王・棋聖・王位・王将)になり、当時棋王一冠のみだった羽生善治三冠(当時21歳)よりも七冠王に近い存在でした。
ところが翌年度から羽生さんになかなか勝てなくなり、数年後には羽生六冠と谷川王将という勢力図に。
七冠制覇の敵役という立ち位置になり、故郷の神戸が震災で壊滅する被害に遭いながらも、一度は全冠制覇を阻止します。
しかし、七冠制覇を期待する世間の流れには抗いきれませんでした。
谷川浩司九段の33歳:羽生善治七冠の誕生を許す
参考:第45期王将戦七番勝負
羽生善治三冠の場合
(画像:棋聖戦中継ブログより)
その羽生三冠は2003年、渡辺明五段(当時19歳)の挑戦を退けた後、森内俊之九段から竜王 ・王将・名人を立て続けに奪取されています。
王座一冠からすぐに王位・棋王・王将を取り返すのですが、今になって考えてみればこのときの竜王・名人の失冠は痛かった。
森内名人は2004~2007年まで4連覇し、2002年の獲得も含めて通算5期に到達し、十八世名人の座を先越されてしまいます。
竜王にはそれ以降返り咲くことができず、永世七冠まであと竜王1期のところで、10年以上に渡って足踏みが続いています。
羽生善治三冠の33歳:タイトル3つ相次いで失い、永世七冠達成が遠のく原因となる
参考:第62期名人戦七番勝負
渡辺明竜王の場合は?
(画像:棋王戦中継ブログより)
さて今年、33歳の年度を戦っている渡辺竜王。
すでに2度繰り返されている歴史が再び繰り返されるのか、それとも新しい歴史をつくるのか。
もしかしたら、いきなり竜王戦決勝トーナメントに進出した藤井聡太四段に竜王を明け渡してしまうのか?
歴史が繰り返されるとすれば、タイミング的にも世間の期待的にもドンピシャです。