藤井システムってなんぞや?
2017/08/06
もしもこの記事が爆発的に読まれるとしたら、それは藤井聡太四段の対局相手が「藤井システム」を採用したか、対局相手が藤井猛九段だったかのどちらかでしょう。
もっとも、藤井聡太四段はすでに藤井システムを相手にしたことがあり、非公式戦の第零期獅子王戦決勝で羽生善治三冠に敗れています。
このときは今ほどの藤井聡太フィーバーが起きていなかったので、負けてニュースになるようなことはありませんでした。
藤井システム
「藤井システム」とは藤井聡太四段ではなく、藤井猛九段が創案した四間飛車の戦法です。
元々は「藤井猛が指す振り飛車全般」くらいの意味でしたが、現在はほぼ「居飛車穴熊に組まれる前に、居玉のまま攻め倒す四間飛車」の意味で使われています。
1990年頃の将棋界では、振り飛車対策として「居飛車穴熊」が猛威を奮っていました。
振り飛車がどれだけ上手く捌いても、穴熊の堅さ&遠さを頼りに暴れられて逆転負け、というパターンに苦戦していました(いわゆる、穴熊の暴力)。
ゆえに前述の、四間飛車側から「居飛車穴熊に組まれる前に、居玉のまま攻め倒す」発想は、登場当時としては非常に革新的でした。
羽生善治三冠の藤井システム評
羽生善治三冠もその優秀性を認めており、藤井システムについて以下のように評しています。
Q. 羽生先生の次に大好きな藤井猛先生を誉めていただけないでしょうか?
A. 創造の99.9%は既にあるものの組み合わせですが、藤井システムは残りの1%です。
(引用:将棋世界2017年2月号
P.49より)
羽生三冠に限らず、棋士が藤井システムについて語るときは、概ねベタ褒めしています。
将棋界では「自分の名を冠した戦法」が定着することは、非常に名誉なことなのです。
藤井猛という棋士
(画像:マイナビ将棋情報局より)
藤井システムの生みの親である藤井猛九段は、独創的な序盤戦術が高く評価されている棋士で、40代半ばを超えた今でも「振り飛車の雄」としてのポジションをキープしています。
谷川浩司九段や羽生善治三冠、渡辺明竜王のような、覇道を歩んだ棋士とはまた別のベクトルでの大天才といえます。
若手時代、居飛車穴熊に悩まされていた藤井九段は、穴熊に組まれる直前に居玉のまま攻める発想を思いつき、公式戦で投入します。
それが1995年のB級2組順位戦、対井上慶太六段(当時)戦のことで、作戦は成功し、なんと47手で快勝(将棋はだいたい120手くらいで終わる)。
この将棋は、今もなお「藤井システム一号局」として語り継がれています(上の局面はその投了図)。
参考:藤井猛九段の半生
藤井システムの全盛期と衰退
藤井九段は1998年に竜王を獲得し、2期連続で防衛して当時の新記録となる3連覇を果たしました。
また2000年度末には自身初のA級昇級も決め、このように藤井システムは2000年前後に全盛期を迎えました。
しかしその栄華は長くは続かず、将棋の戦法の宿命として、徐々に衰退の道を歩みます。
居飛車党の棋士たちによって徹底的に研究され、誰にでも指せる対策が確立されていきました。
2006年頃を境に藤井九段自身も指さなくなってしまい、藤井システムはごく一部の棋士だけが指す、いわば消えた戦法となってしまうのです。
10年越しの復活
ところが最近になって、藤井システムが復権しつつあります。
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10年の時を経たことで、有力な新手が続々と発見されたのです。
羽生善治三冠は2016年度の王座戦第2局、2017年度の棋聖戦第3局で藤井システムを採用しています。
そして何より、本家の藤井九段が2016年度の銀河戦で優勝し、その原動力になったのが藤井システムなのです。