決着がつくまでほぼ24時間かかった対局と、それに最後まで付き合った記録係・星野良生2級(当時)
2017/10/09
けっこう有名な話ですが、将棋の公式戦で、決着がつくまでほぼ24時間かかった対局があります。
その対局は今から遡ること約13年、B級1組順位戦2回戦・行方尚史七段(当時) vs 中川大輔七段(当時)戦です。
2004年6月25日10時に始まったその対局は、終わったときには翌26日の9時15分になっていました。
持将棋→千日手→決着
順位戦は今も当時も、お互い持ち時間6時間ずつの長丁場。
ですから終局時に日付が変わっているのはよくある話ですが、お天道さんが昇って小鳥もチュンチュン鳴いてるのは前代未聞の事態です。
その将棋はまず、午前1時35分に241手までで持将棋が成立しました。
持将棋指し直し局は、午前4時58分に122手までで千日手が成立。
中川は対局室にある縁側の板張りの上でやはり横たわっていた。畳の上でなく、あえて板張りの上で寝ていたのでとっさに「臥薪嘗胆」という言葉を思い浮かべた。
アンダーシャツ姿であえて板の間に横たわっていたのがなんとも中川らしい剛毅な一面を見たようで、オイラは先ほどまでの眠気がこのとき吹き飛び、よーし、この将棋、決着するまで見届ける、と決めた。
中川は控え室ではなく、対局室の傍らで横になったが、これは万が一寝過ごした場合を考えてのことだったらしい。
(引用:23時間15分の激闘より)
そして千日手指し直し局が111手までで行方が勝ち、長い長い一局に決着がつきました。
公式戦で指し直しとなる場合、30分の休憩を取った後、持ち時間の少ない方が1時間になるように双方加算されるため、余計に終局まで時間がかかりました。
昇降級には...
ちなみにこの期の両者の成績は、行方が6勝6敗で中川は7勝5敗。
これだけ壮絶な将棋でありながら、昇級にも降級にも全く関係ありませんでした。
この将棋がもっと劇的なドラマにつながっていれば、もっと有名になっていたかもしれません。
この将棋の記録係だった星野良生現四段
(画像:日本将棋連盟より)
この対局は公式戦ですから、当然記録係がついています。
この地獄のような将棋の記録係を務めたのは、当時奨励会2級だった星野良生(よしたか)現四段です。
この対局そのものが終わったのは9時15分ですが、星野2級が仕事から解放されたのは午後3時!のことでした。
星野は記録係の常連だった。2004年6月、15歳、奨励会2級当時に、B級1組順位戦の中川大輔七段対行方尚史七段戦の記録係を務めた。
(略)
通算三局目、再指し直し局が行方勝ちで終わったのは、午前9時15分のことだった。
そこから感想戦が終わった後で、星野は棋譜を清書した。星野が仕事から解放されたのは、午後3時のことだった。
星野2級は当時なんと15歳!で、中学卒業後は進学はせず、将棋に専念していました。
のちに「超速3七銀戦法」でその名を将棋界に刻んだ棋士の、奨励会時代の青春のひとコマ。
記憶を辿ると...
私はこの将棋について、当時将棋世界で読んだうっすらとした記憶があります。
確か、終局後に帰途につこうとしている両対局者について、勝った行方が疲労困憊の様子で、一方負けた中川はシャキッとしていた、そんな感じの文章だっと思います。