幻の新旧王者対決! 羽生善治七冠 vs 中原誠十六世名人
2018/10/03
羽生善治竜王と藤井聡太七段によるタイトル戦を、期待している人は多いのではないでしょうか。
これがもし約20年前なら、多くの将棋ファンは、このように思っていたことでしょう。
『中原誠と羽生善治のタイトル戦を見たい』と。
その期待に応え、今から遡ること約23年前の1995年3月。
昭和の大名人と若きスーパースターによる、ゴールデンカードが実現しようとしていました。
夢の対決が実現目前まで
今も当時も、将棋界の年度末といえば、王将戦七番勝負とA級順位戦の決着、と相場が決まっています(*棋王戦は本記事の趣旨と関係ないので割愛)。
1994年度末に行われていた、その2つのクライマックス。
第44期王将戦七番勝負は、羽生六冠が第6局を制してフルセットに持ち込み、第53期A級順位戦では中原永世十段が最終局を制してプレーオフに進出しました。
つまり、こういうこと↓です(段位及び敬称略)。
羽生(当時24歳)→ 七冠制覇まであと1勝
中原(当時47歳)→ 名人挑戦まであと1勝
...となれば、世間が期待するシナリオはひとつしかありません。
幻に終わったゴールデンカード
棋界の語り部として長く活躍された河口俊彦八段が、当時の世間の声を代弁する文章を残してくださっているので、少し長いですが、それを引用します。
棋界関係者の理想のシナリオは、中原が名人挑戦者となり、羽生七冠王と対決する、というものだった。
中原は羽生と番将棋、つまりタイトル戦を戦っていない。年齢からして、今回の挑戦者決定戦が最後のチャンスであろう。
であればなおさら中原が負けるはずがない。大山と中原は、そういう強運の持ち主なのである。
先をつづければ、名人戦で中原は羽生に敗れる。そして中原十六世名人は「よき後継者を得た」とか言って、羽生を十七世名人候補と認める。
かつて、名人木村義雄が大山に敗れたときそう言ったのである。ここで歴史はくり返されるはずだった。
(引用:羽生善治 闘う頭脳
P.113~114より)
まさしく理想通りのシナリオですが、お察しの通り、新旧王者による番勝負は実現しませんでした。
中原永世十段はプレーオフで森下卓八段(当時)に敗れ、名人戦挑戦者になり損ねます(第53期A級順位戦)。
そして羽生六冠も、最終局で谷川浩司王将(当時)に敗れ、七冠制覇を阻止されてしまいました(第44期王将戦七番勝負)。
平成将棋界の第一人者となった羽生善治竜王
この後羽生六冠は、「保持するタイトル6つ全てを防衛し、王将戦でも再び挑戦者になる」という、離れ業を成し遂げます。
こうなってはさすがの谷川王将もなす術はなく、あっさり4連敗で最後のタイトルを明け渡しました。
一度は七冠王への道は断たれるも、また別の伝説を作りつつ結局は七冠王になるというのが、如何にも羽生七冠らしい。
以来、平成の将棋界を代表する棋士として第一人者で在り続け、積み重ねたタイトルは99期!
昨年には前人未到の「永世七冠」をも達成し、将棋棋士として初めて国民栄誉賞を受賞したことが記憶に新しいですね。
ゴールデンカードの実現が永久に潰えた日
(画像:日本将棋連盟より)
かたや中原永世十段は、それ以降、一度もタイトル戦の挑戦者になることがありませんでした。
2003年の竜王戦で、挑戦者決定戦まで勝ち上がったこともありましたが、森内俊之九段に敗れています。
挑戦者争いは、中原と新加入の森下卓が7勝2敗で並び、プレーオフで森下が勝った。
前期もそうだったが、中原は最後のこの一番というところで勝てない。
それはこの後もつづき、他社棋戦で挑戦者決定戦まで勝ち上がりながら、最後で負けて、これ以後、一度もタイトル戦に登場することはなかった。
あの無類の勝負強さは何処かに消えてしまったのである。
(引用:盤上の人生 盤外の勝負
P.31より)
そして月日は流れ、2009年3月31日を以て中原誠十六世名人が現役を引退。
このとき、『羽生善治と中原誠の番勝負』は、永久に実現しないことが確定したのです。