奨励会

「負けた方が奨励会退会!」の鬼勝負

2022/05/02

第74期C級2組順位戦(2015年度)で9勝1敗の成績をあげ、今期からC級1組で昇級を目指して戦っている宮本広志五段。

宮本五段は奨励会三段時代、2011年に第1期加古川清流戦で準優勝の実績を残し、第54回三段リーグ(2013年10月~2014年3月)で2位の成績を収めて四段昇段を果たしました。

ですが、プロ入り1期前に、想像もつかない非情な勝負をくぐり抜けていました。

28歳で四段昇段を果たした棋士

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(画像:加古川清流戦中継ブログより)

宮本五段は1986年1月27日生まれの31歳、2014年4月1日付で四段に昇段しました。

棋士になって3年目でこの年齢ということは、つまりは年齢制限である26歳を超えて棋士になったということです。

26歳までに四段昇段には至らなかった場合、原則としてその時点で退会です。

しかし例外として、三段リーグの成績を勝ち越して終われば、26歳を超えていても次期の三段リーグに参加することができる特例があります。

そのおかげで宮本三段は、年齢制限を超えても夢をつないでいました。

2期連続で「勝てば四段昇段」の勝負を落とす

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宮本三段は第51、52回三段リーグで大チャンスを迎えており、2期連続で「最終局を勝てば四段昇段」という状況でした。

しかし、結局は2局とも星を落とし、あと一歩のところで夢を果たせずにいました。

...これだけでも十分壮絶な経験なのですが、もっと壮絶な運命が宮本三段に襲い掛かりました。

石井健太郎新四段、三枚堂達也新四段が誕生した第53期三段リーグ(平成25年4~9月)の裏で、「文字通り」人生を懸けた勝負がありました。

負けた方が夢断たれる勝負

すでに年齢制限を超えて27歳になっていた宮本広志三段(当時)。

第53回三段リーグは序盤から勝ち星が伸びず、14回戦を終えた段階で7勝7敗。

そして15回戦で大逆転負けをくらって痛恨の8敗目を喫し、この成績では昇段はもう無理です。

来期も参加するためにはリーグ成績を「勝ち越し」で終えないといけないので、最低ノルマは10勝8敗。

つまり指し分け(9勝9敗)では即退会なので、崖っぷちに追い込まれました。

それでもなんとか16、17回戦で白星をあげて、トータル9勝8敗。

最終戦を勝てば10勝8敗で勝ち越し、次期もリーグに参加できる...という状況で迎えた相手はなんと、自分と全く同じ状況、9勝8敗で負ければ即退会の危機にあった鈴木肇三段(当時)でした。

つまり、この最終第18局に負けた方が奨励会退会=四段昇段の道が断たれる「鬼勝負」です。

文字通り「負けた方が奨励会退会」の一局

それにしても、なんと非情な巡りあわせでしょうか。

いや、真剣勝負だからこそ、このようなつくってもできないような巡り合わせが、現実に起こるのです。

この勝負の直前の異常な様子を、将棋世界 2014年7月号「関西本部棋士室24時」は、以下のように伝えています。

鈴木戦の対局開始前。

宮本が「僕の先手番で」と告げると、鈴木三段が「えっ」。

宮本三段も思わず「えっ」と聞き返した。

いかに鈴木三段が追い込まれたいたかが分かる。

たったこれだけの文章で、崖っぷちの勝負に挑む男たちの、異様な雰囲気が伝わってきます。

結果は、二転三転した将棋を宮本三段が制しました。

この瞬間、宮本三段は来期へ夢をつなげ、鈴木三段は夢を断たれました。

15年越しの宿願

そして翌第54回三段リーグ

勝てば昇段の最終局を今度こそ制し、28歳にして四段昇段。

第51、52期リーグではともに勝てば昇段の1局を落としていましたが、冷静な指し回しで優位な将棋を勝ち切って宿願を果たしました。

宮本は落ち着いていた。

近藤三段の無理攻めを冷静に受け止めて、優位を築いた。

数々の修羅場が宮本の精神力を強靭な物にしていた。

近藤三段が投了し、宮本の昇段が決まった。

(引用:将棋世界 2014年7月号「関西本部棋士室24時」より)

幼少のころから十何年に渡って人生をかけてきた道を断たれる勝負に挑む・・・そんな心境、想像するだけでゾッとします。

これだけ極端に明暗の分かれる勝負は珍しくとも、実は世に出てこないだけで、奨励会ではこういう非情な瞬間を迎える人たちは大勢いるのでしょう。

宮本五段が奨励会に6級で入会したのは、1999年9月のこと。

15年に渡る奨励会生活が報われて、本当によかった。

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