B級1組「鬼の棲家」の意味の変遷
2017/07/01
名人戦の挑戦者になるためには、「順位戦」という予選リーグを勝ち抜かなければなりません。
その順位戦はA級・B級1組・B級2組・C級1組・C級2組の5クラスに分かれています。
それらは名人への挑戦権を懸けた予選リーグであると同時に、棋士の「格」を決める性質も持っています。
A級棋士であれば名人に次ぐトップ10であり、文句なく「一流棋士」として認められます。
「鬼の棲家」の意味の変遷
そして、A級に次ぐB級1組に在籍する棋士も、やはり実力者として認められます。
そのB級1組には、「鬼の棲家」という異名がついています。
B級1組リーグは、「鬼のすみか」と呼ばれてきた。A級にひけをとらない実力者が多く巣くうという意味だ。
あの渡辺明竜王でさえ、初参加の時は出だしから1勝5敗という成績で降級の心配をしたほど、生存競争は厳しい。
(引用:朝日新聞デジタルより)
現在では、「鬼の棲家」の意味は、先のネットニュースのように「A級にひけをとらない実力者たちの在籍するクラス」くらいの意味で使われています。
まあ、確かに昨今のB級1組のメンバーを見れば、それも納得と言う感じがします。
生き残りを懸けて才能を見抜く
しかし、「鬼の棲家」の異名で呼ばれた理由は、昭和時代では意味が違っていました。
いかにも昭和的な匂いのする、露骨な話です。
B級1組の常連の、仲間の才能を見る目は確かなもので、自分の地位を守るために、それを十分に活用する。
まず第一にやるのは、クラスの中の鰯、すなわちカモを見つけ出すことで、それを徹底的に叩く。
そうすれば、自分は降級を免れる。
●引用:盤上の人生 盤外の勝負
B級1組は、盛りを過ぎた侍が多い。そういった人たちは、己の才能の限界を知っていると同時に、仲間の才能を的確に見る眼を持っている。
そして、新鋭が下から昇ってきたとき、これは自分たちより才能が上だと見れば、強い者に居られては迷惑だとばかりに、A級に行かせる。
その代わり、若くても大した将棋でないと見れば、全力をあげてこれを叩く。
●引用:盤上の人生 盤外の勝負
要は、B級1組には強い人・中間の人・弱い人がそれぞれいて、上述の「盛りを過ぎた侍」が中間の人。
その人たちが己の地位を守るために、弱い人(カモ)を見抜いて、その人との勝負に全力を尽くす。
B級1組は定員が全13名(原則)に対して、降級は2名。
自分より弱い人が2人居れば、来期も今の地位を維持できるわけです。
逆に、強い人が増えれば今度は自分がカモになりかねないので、強い人はさっさとA級に上がらせる、というわけです。
勝負の世界の現実
つまり昭和の「鬼の棲家」の意味は、カモにされた人たちから見たときの、「B級1組の地位を手放すまい!と頑張った棋士」の見る目の正確さを例えた呼び名です。
なぜ、そこまでB級1組の地位に固執するのか。
B級1組に通算19期在籍した、故・芹澤博文九段の言葉によれば以下の通り。
芹澤が常々言っていたように、B級1組は居心地のいいクラスらしい。
仲間内では格上だし、世間体も良い。それに対局料の率も良い。
そして特徴的なのは、いったんA級に昇り、そこから落ちた人が多い。盛りを過ぎた棋士が集まっているクラスなのである。
だから居心地の良い現状を維持するために必死になっている。
表面は、A級と比べれば相手は軽い、とよそおいながら、内心は衰えの早い者を見つけ、落とそうとする。
●引用:升田幸三の孤独
今は少し制度が変わったそうですが、棋士の収入は「順位戦でどのクラスに在籍しているか」に大きく左右されます(昭和の頃は特に)。
将棋「名勝負」伝説(P.79)によれば、「本当に将棋1本で暮らし、家族を養っていくのであれば、順位戦でB1以上の地位は死守しなければ厳しい」とのこと。
金とプライドと見栄が絡めば、必死になるのは勝負師に限らず、古今東西至極当たり前のことだから仕方ないですね。